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「多くの日本の仏教では亡くなられた方の霊(魂)は四十九日間仏になるための旅に出て修行し四十九日の満中陰法要後に仏になるとされています。
このため、一般的には四十九日法要までは中陰壇の霊前に供えますので「御霊前」を、四十九日の法要が済みますとご位牌をご仏壇に移しますので五十日目以降の百日忌法要や年忌法要などではご仏壇に供えることから「御佛前」を用います。
なお、浄土真宗では「即得往生」の教えから、教義に霊はありませんので「御佛前」を用います。また、曹洞宗や臨済宗などの禅宗では教義に「浄土」はありませんので「成仏以前」という考え方もなく、「御佛前」とするのが一般的かと思います。
死者に香典を出すのではなく「本尊である仏様に捧げる」という意味であるなら「御佛前」になります。
また、四十九日までは「御霊前」を四十九日以降は「御佛前」を用いるとか、三十五日までは「御霊前」を四十九日から「御佛前」を用いるといった記載が多く、まちまちであるためにどのHPを参考にしたかによって「御霊前」か「御佛前」かと分れています。」
実際の浄土真宗の方の回答もありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1232944782
「浄土真宗本願寺派の者です。浄土真宗は本願寺派、大谷派、高田派、・・・等々10以上の「派」が存在しますが、例え「派」が違っても元を辿ってたどり着く所は「親鸞聖人」の教えで す。各派それぞれに作法やお経の読み方、仏具の呼び方等の違いはありますが、親鸞聖人の教えに対する違いはありません。「派」が多数存在しているのは「教 え」の違いによるものではなく、勢力の分断や師弟関係、真宗の地域的発展によるものです。(古くから存在している十派によって「真宗教団連合」という団体 も作られています)
ご質問についてですが、結論から言いますと浄土真宗には「御霊前」という言葉はありません。親鸞聖人の教えでは「死=浄土往生(つまり成仏)」だからです。
他の宗派では『お通夜までは「御霊前」で、お葬式からは「御仏前」』とか、『四十九日までは「御霊前」で、それ以降は「御仏前」』と言ったりしている様で すが、それは修行を重んじる宗派の考えで、そこには『「魂」や「霊」となって修行しなければ成仏できない』という考え方が存在します。
親鸞聖人の教えは『我々人間は、いかに厳しい修行に励もうとも、又どれだけ仏教の勉強をしようとも、自らの力で煩悩を全て打ち消し「悟りの世界」へ至る事など決してできない愚かな存在である。しかし、そんな愚かな我々だからこそ、阿弥陀如来は慈悲の心を以って「どんな人間であろうとも、私を信じ、私の名を呼べば一人も漏らす事無く必ず浄土(仏 の世界)へ生まれさせる」と誓って下さったのだから、阿弥陀如来を信じその名を呼べば(お念仏を唱えれば)必ず浄土に生まれさせてもらえる(成仏させても らえる)』
というものです。(本当はもっと深いものですが、多少分かりやすく表現しました)
簡単に言ってしまえば、生きている内に「南無阿弥陀仏」というお念仏に出会った人は、誰であろうとこの世の命が尽きた次の瞬間にはもう「浄土」に生まれて いる=「仏」となっているという事です。「霊」や「魂」という存在になる事無く、阿弥陀如来の救いによって「仏」に生まれ変わっているのですから「御霊 前」という言葉を使う必要が無いのです。(ですから「御霊(みたま)」という呼び方もしません)
余談ですが、浄土真宗では「御冥福」を祈る必要もありません。亡くなった方が往く処は「浄土」であって「冥土(地獄・餓鬼・畜生の三悪道の世界)」ではな いからです。ましてや「浄土」とは煩悩による「苦しみ」の一切無い「悟り」の世界な訳ですから、改まって我々が福を祈るまでもありません。
ただ残念ながら、地域によっては他の宗派の影響や地域のしきたりが強かったり、また浄土真宗の寺の檀家であっても「真宗の教えについて深くは知らない」と いうご家庭では「御霊前」や「御冥福」を使ったりもしているようです。(TVにでてくるマナー講師や、冠婚葬祭について書いてある書籍等も悪因の一つで す)長々と書きましたが、親鸞聖人の教えには、死後に「霊」や「魂」になるという考え方はありませんので、浄土真宗のお宅で誰かお亡くなりになった際には、臨終の弔問時から「御仏前」になります。」
高田派の方の回答はこちら
「私の家は、代々、浄土真宗高田派の正式な檀家です。(略)私の家の地域は、ほとんどの家が、同じお寺の檀家です。但し、地域では、檀家とは言わず、「同教」と呼んでいます。(略)
私の家の地域では…!通夜とは言わず、「夜伽」と呼び、その時の金品は、「夜伽見舞」と呼び、不祝儀袋にも「夜伽見舞」と記入します。
葬儀当日は、「御香奠」「御香典」です。但し、お寺からのものは、「御香料」です。
同日の夕暮~夜に、初七日をする場合も多いですが、「御仏前」です。以降、「御仏前」です。
葬儀の際、祭壇の近くの物も含めて、頂き物には、「供」です。初七日以降は、「御供」です。」