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野良子猫フクを保護し、数年ぶりに猫を飼い始めた私の、その後フクと過ごした生活と思い出、そして今までのつぶやき
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2018/10/19 (Fri)
ようやく便器を絞りこんで問い合わせたら
今度は業者に放置された
まあ、こちらも3か月音沙汰なかったしな
でも、これで振り出しに戻るのか?
ああ、面倒。
なんだ、かんだと1年経ってしまいそう

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2018/10/18 (Thu)
最近食べた
ふじっこの純とろは美味しい
さっぱりしているから好き
でも、もう売り切れちゃった

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2018/10/18 (Thu)
今日は母がデイの日
天気は普通、夕方はしぐれるかも?
・・・で整形外科にいこうか、田に行こうか迷ったけど
体が眠いと言うのでどちらもやめた
整形外科はまだ薬あるし来週でもいいや
田も別の日でもいいや
どうせ除草剤も作ってないし
と思って10時半まで寝ようと思ったら
途中で煙臭くて起き上がった
裏の家が畑のゴミを炊いたみたいで
窓を開けていたからしまったー!
季節外れの扇風機を使ったけど
やはり臭かったので眠れなかった

座椅子をPC部屋にセッティング
居間のこたつ敷布を干して
あとはトイレを掃除したい
新聞も片づけたい
割烹着のひもを直したい
こたつ布団の破れも直したい
ああ、面倒

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2018/10/18 (Thu)
PC部屋の座椅子がなくなって背もたれがないと不便
でも結構高い。
それに今はあまりホームセンターでも売ってない
買おうかと思ったけど
2階に使ってないやつがあるのを思い出した
昔は漫画書いてたけど、今はしてないし
ってことで、おろして布を被せて使うことにした
その布も捨てようと思っていた敷布だったり。
誰も入らない部屋だからいいわ

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2018/10/15 (Mon)
久しぶりに12時から6時過ぎまで寝られると思ったのに
ネコがまた5時前に胃液を吐き始めたので
1階に降りてテラスへ出しエサを与えた
寝る前にテラスに出したのに食べなかったのか。
おかげで、胃液の始末に時間がかかった。あちこちだもんなあ
で、前日食べてしまった枯れた榊の葉まで吐いてるし

その後、母の支度を始めたが
ゴミ出しの時に入って来たのか
朝から蜂が部屋の中に飛んでいるのに気付き
慌ててハチスプレーを噴射する
落ちた蜂はネコが興味深く注視していた(でも触らない)
スズメバチかアシナガバチがわからないけど
とにかくシマシマな奴

で、母を送りだし
自分の朝食を済ませて休憩
雨が降っていたので朝から洗濯できず
眠かったので12時まで寝ることにした

その後、ネトゲを始め
ヘナを塗り、ふろ水を入れ
風呂に入り
洗濯機を回し
母が帰る頃に洗濯物を干し
母が帰ってきたら、また導尿し
15日だったので、慌てて榊を替えて神棚に

そしてまたPCの前に
ろくに食べる物がないが
味噌汁とスパゲティを食べたあと
母のパッドを替えていて気づく
15日はたしかポイント10倍だったと
9時になってから近くのドラッグストアに走り
買い物を少しして帰って来て
また母の導尿をして休憩

ネコ湯たんぽ


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2018/10/13 (Sat)
従姉がサトイモを持って来てくれた(母の様子を聞きに)

あとで袋をあけたら綺麗に皮もむいて洗ってあったので
助かった
面倒だもんなあ

うちのサトイモもまた掘らないと

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2018/10/10 (Wed)
着いたら車がほとんどいないってどういうこと?
と思ったら第二ホールだって
初めてだ
どうやら家族葬用の小さなホールだったが
地区の人が来ている分
椅子が足らず、2列ほど増やしていた
もっとも前に空いている席をつめなかったこともあるだろうが

*しかし葬儀に行かなかった家の人が親戚の一人として
受付にいたのは気まずかった

たぶん、私は場違いなんだろう
全然班も違うし、つきあいない家なんだから
いたたまれなくなって、ちょっと帰りたくなったが
せっかく来たことだしと腹をくくって前の席についた

*が、隣に座ったおばさんが咳をするので「しまった」と思った。
1つずらしたい~と思って、焼香のあとで1つずらした。
咳をするならハンカチでおさえてほしいよ
こちとら母にうつすわけにはいかないんだからね

で、遺影だが、全然記憶にない
ていうか、これって1番元気で立派な時の写真じゃないか?
今はもっと老けてるはずだし痩せてるだろう
これではよくわからない

壁の供花を見てわかったこと
市の退職校長会というから校長先生だったということ
そして地元の小学校の校長もしたことがあるということ
(でも、私の時代じゃない)
それから高サ住の名前があったから施設に入っていたこと
あとで、弔電がそこの施設ともう1つデイサービスの施設からあった
つまりデイサービスも利用してたってこと
昨年末に救急車騒ぎがあったようだから
そのあとで施設に入ったのかもしれない

奥さんを見るに、白髪のかなり小柄で杖をついてよぼよぼした歩き方をしていた
旦那が92歳なのだから、奥さんも近い年だと思うし
あれでは介護は無理だろう

しかも、アナウンスで故人のことをいう時
「奥様のため、教育のために尽力を」って言ってたことから
子供はいなかったんじゃないかな
親族の席をみてもそんな感じの人はいなかった

しかし気になったのは、奥さんが一人で危なっかし気に焼香に立っているのに
親族の誰一人として付き添わないこと
1番近いと思われる親族夫婦も手を出さない
はて、折り合いでも悪いのかと思っったりもして
そもそも喪主も奥さんだし

しかし、そのあとで、喪主である奥さんの挨拶を聞いてなんとなく
わかった気がする
奥さんは形式的な挨拶ではなく素の言葉で
はきはきというかしゃきしゃきと口を開いていた
いはく
いつもはこんな状態ではないが、精神的なものでこんな調子だ
連れとわかれるのがこんなにつらいことだとは
先に連れを亡くした人の気持ちがこの年になってようやくわかった
しかし、この年だから皆(同級生も)いなくなって
(葬儀に)来る人も少なかろうと思ったのに
こんなに、こんなに、たくさんの人が来てくれて
きっと主人も喜んでいると思います
主人はあと8年(100歳まで)生きるんだと言っていましたが(笑)
とかとか、エンドレスで続きそうなところを
「もう、このへんで」と親族にたしなまれていたけれども
なんとなく拍手を送りたい気分にさせられた
さては奥さんも教師をしていたのかもしれないとも思った次第
そして、こんなに気がしっかりしていては
きっと手をだすなとか言っていたのかもしれないなあと想像

とにかくそんな感じで葬儀は終わり帰途についたが
故人の面影は私の心にはなかったけれども
やはりどんな様子で年賀状を書いていたのだろうか
もしかして父の葬儀の際の号泣していた私を見ていたのだろうか
などと思いをはせると、自然に涙が出てきたのだった




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2018/10/09 (Tue)
今朝、地区の人の訃報が入って来た
その人は「昨年末に救急車で運ばれた」という話のおじさんだった
享年92歳だったという
亡き父よりほんの少し上の生まれだったらしい

やはり体調が悪かったのかと訃報を聞いて残念に思ったが
私はその人を直に知らなかった
もしかしたらどこかで会っているのかもしれないけど
この人がそうだと顔を見てもわからない

だけど、名前は知っていた。
なぜならば、手元におじさんの年賀状があるからだ
亡き父と特に親しい人ではなかったと思う
親戚づきあいしている近所でもない
でもなぜかうちに年賀状が残っている

母と私あての。



それは本当に突然だった。

父が亡くなって数年後のお正月に、なぜかそのおじさんから年賀状が届いたのだ

徒歩で行けるような地区内で
年賀状を交わすなど親戚づきあいしている家ぐらいしかないのに

なぜ突然??


当時いろいろ考えた。
年賀状が余ったのかな?
それで思いついたのかな?
でも、なんでうちに?
母いはく元学校の先生らしいから?(それって理由になる?)
よくわからないが、私は顔も知らない人だが
もらったからには、こちらも近況を書いて年賀状を返した。

それからは(前年度の年賀状を見て出すのか)
おじさんは翌年も送ってきた
その次も送ってきた
そのたびに私は母との近況を書いた
2回か3回か覚えがない。それぐらい短い間だったと思う

そして平成29年のお正月、これが最後の年賀状だった
震える字で「お二人ともご自愛下さい」って添えてあった
(表側も皆、直筆)

たった1枚
だたそれだけだけど、たとえ気まぐれでも
少しでも私たち親子を気に掛けてくれていたんだなと思ったら

(いつもならそんなに義理のない家は
自宅に香典を持って行くだけなのだけど)

やはりお葬式に行きたいと思った。
そして遺影を拝みたいと思った。
どんな人なのか、知った顔なのか
知りたいと思った。
だから、明日行こうと思った。
たぶん遺族の方は知らないだろうけど
一度だけでも本人に「年賀状ありがとうございました」と
言える機会があったら・・・・よかったのになあ

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* ILLUSTRATION BY nyao *