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2012/06/26 (Tue)
(6月1日に、5月26日のことを回想した記事)
葬儀が終わった次の日には
少しはホッとできるかと思ったのですが
甘かったようです。
お通夜と葬儀は式場を借りたのですが
出席できず自宅へ香典を持ってきて下さった近所の方も大変多く
父が亡くなってすぐに翌日通夜と葬儀だったため
その場でお礼を渡すことが出来ず
そのため葬儀が終わってから会葬御礼の粗品を配るはめになったのです。
(地元の取り決めで、香典の金額は少なめにして「返し」はなしということになってますが、粗品だけは渡さないといけないので)
ところが、私は実家に住んではいますが
外に勤めていたため田舎の付き合いが全くなく
地図を見ないと、どこにだれの家があるのか知りません。
そのため、母にバカにされつつ
近所に住む(かなり年上の)いとこに道を教えてもらいながら
その会葬御礼を配ることになりました。
正直、私と姉は年が離れていますので
配った家では、「○○ちゃん?」とか「お姉ちゃんのほう?」とか言われて
姉さんが配った方がよかったんじゃ?と思いましたが
姉さんは「あんたのほうが、ここに住んでいるのが長いから」とか言うんですよね。
まあ、それはともかく、その日留守で配れなかった人は
(また従兄に頼むのは申し訳なかったんで)
夕方姉と一緒に再度回ることにしました。
そうして、その日の夕方姉と回って
今度は姉に玄関先に行ってもらったんですが
その時、2軒ぐらいの家から
「お父さん、妹さんと歩いていたのにね~」と声をかけてもらったそうです。
それを聞いて、私は鼻がつんとしました。
それは父が手術を受ける前に
医師からお腹をひっこめるように言われて
散歩をしていた時のことです。
私は自分で調べて、すでにこの病気の厳しさも、手術をしても余後はよくないだろうことも知っていました。
けれど、それでも父に1日でも生きてほしいと、前向きになってほしいと、一緒になって、父につきあっていました。
(そんなことは知らない)母や姉は、
私にそこまでしなくてもいいだろうと言っていましたが
体が疲れていても、天気がいい日には1日2回、散歩の時間には
父と一緒に近所を歩いていたのです。
その散歩のコースは毎日違っていて
飽きるといけないからと、父は「今日はどこに行こうか」と考えて。
地元ながら、私も知らない場所がたくさんあって
「こんなところがあったんだなあ」と驚きながら父と歩いていました。
自分でも、貴重な時間だなと思っていました。
そんな散歩の途中で、
(私は名前も顔もろくに知らないけれど)畑や庭で会った人たちが
歩いていた私たち親子を覚えていたのでしょう。
本当に切なくて愛しい散歩の時間でした。
ほんの2か月前のことです。
後日、母に「ここの道もお父さんと歩いたよ」とあちこちで言うと
母は「お父さんは死ぬ前に、町全体を歩いて回ったんやなあ・・・」
とつぶやいていました。
そんなことが思い出されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父が亡くなって早1週間以上経ちました。
四十九日までの法事の準備とか、公的機関での手続きとか
家のかたづけとか、手続きの調べ物とか
引き続き慌ただしい日が続いていますが
とうとう疲れが体にきたのか
昨日の朝、起きたら体の不調が目に見えてきました。
なので、昨日から出かけず家で休んでいます。
・・・とはいえ、横になろうとすると
香典返しの商品を勧める業者さんとか
仏壇やさんとか来たりして落ち着かないですね~
ああ、位牌も頼みに行かなくちゃ。
父が亡くなる数日前に注文してしまった高い健康食品が
亡くなってからいくつか届いたので
仕方なく私が飲んでいます。
これで疲労回復できるといいなと思いつつ。
葬儀が終わった次の日には
少しはホッとできるかと思ったのですが
甘かったようです。
お通夜と葬儀は式場を借りたのですが
出席できず自宅へ香典を持ってきて下さった近所の方も大変多く
父が亡くなってすぐに翌日通夜と葬儀だったため
その場でお礼を渡すことが出来ず
そのため葬儀が終わってから会葬御礼の粗品を配るはめになったのです。
(地元の取り決めで、香典の金額は少なめにして「返し」はなしということになってますが、粗品だけは渡さないといけないので)
ところが、私は実家に住んではいますが
外に勤めていたため田舎の付き合いが全くなく
地図を見ないと、どこにだれの家があるのか知りません。
そのため、母にバカにされつつ
近所に住む(かなり年上の)いとこに道を教えてもらいながら
その会葬御礼を配ることになりました。
正直、私と姉は年が離れていますので
配った家では、「○○ちゃん?」とか「お姉ちゃんのほう?」とか言われて
姉さんが配った方がよかったんじゃ?と思いましたが
姉さんは「あんたのほうが、ここに住んでいるのが長いから」とか言うんですよね。
まあ、それはともかく、その日留守で配れなかった人は
(また従兄に頼むのは申し訳なかったんで)
夕方姉と一緒に再度回ることにしました。
そうして、その日の夕方姉と回って
今度は姉に玄関先に行ってもらったんですが
その時、2軒ぐらいの家から
「お父さん、妹さんと歩いていたのにね~」と声をかけてもらったそうです。
それを聞いて、私は鼻がつんとしました。
それは父が手術を受ける前に
医師からお腹をひっこめるように言われて
散歩をしていた時のことです。
私は自分で調べて、すでにこの病気の厳しさも、手術をしても余後はよくないだろうことも知っていました。
けれど、それでも父に1日でも生きてほしいと、前向きになってほしいと、一緒になって、父につきあっていました。
(そんなことは知らない)母や姉は、
私にそこまでしなくてもいいだろうと言っていましたが
体が疲れていても、天気がいい日には1日2回、散歩の時間には
父と一緒に近所を歩いていたのです。
その散歩のコースは毎日違っていて
飽きるといけないからと、父は「今日はどこに行こうか」と考えて。
地元ながら、私も知らない場所がたくさんあって
「こんなところがあったんだなあ」と驚きながら父と歩いていました。
自分でも、貴重な時間だなと思っていました。
そんな散歩の途中で、
(私は名前も顔もろくに知らないけれど)畑や庭で会った人たちが
歩いていた私たち親子を覚えていたのでしょう。
本当に切なくて愛しい散歩の時間でした。
ほんの2か月前のことです。
後日、母に「ここの道もお父さんと歩いたよ」とあちこちで言うと
母は「お父さんは死ぬ前に、町全体を歩いて回ったんやなあ・・・」
とつぶやいていました。
そんなことが思い出されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父が亡くなって早1週間以上経ちました。
四十九日までの法事の準備とか、公的機関での手続きとか
家のかたづけとか、手続きの調べ物とか
引き続き慌ただしい日が続いていますが
とうとう疲れが体にきたのか
昨日の朝、起きたら体の不調が目に見えてきました。
なので、昨日から出かけず家で休んでいます。
・・・とはいえ、横になろうとすると
香典返しの商品を勧める業者さんとか
仏壇やさんとか来たりして落ち着かないですね~
ああ、位牌も頼みに行かなくちゃ。
父が亡くなる数日前に注文してしまった高い健康食品が
亡くなってからいくつか届いたので
仕方なく私が飲んでいます。
これで疲労回復できるといいなと思いつつ。
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