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野良子猫フクを保護し、数年ぶりに猫を飼い始めた私の、その後フクと過ごした生活と思い出、そして今までのつぶやき
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2012/06/26 (Tue)
23日の早朝2時半ごろだったでしょうか
父の紙おむつのパッドが不足していることもあり
メールで連絡をとっていた姉が病院に来てくれて
私と交代してくれました。
私は2時間ほどデイルームで横になって休んだ後
朝6時ごろ病院を出て、一度自宅に戻りました。
(自宅には車で30分はかかります)
予定では、お昼頃に病院に戻り、姉と交代し
姉には帰ってもらうはずでした。

その自宅へ帰った時に書きこんだのが
22日の日記の追記部分になります。
なので、まさかその日の午後に亡くなるとは思いませんでした。

朝9時ごろ、念のために携帯をそばにおいて横になっていると
メールが入りました。
『すぐにきて!お父さんが苦しそうです』

それを見て、私は飛び起き
母を連れて昨日のままのかばんを持って車に乗り込みました。
と同時に、父の弟である叔父にも連絡。

運転中、しばらくして再びメールが入りました。
部屋番号が変わったらしいので、とりあえず命をとりとめたのかと
間に合ったとホッとしました。

新しい病室(個室)に入ると、父は酸素吸入器(今度は鼻だけでなく口元も)をしていました。
でも、ちゃんと意識があって、言うことも聞こえてうなづきもしてくれたので、安堵としました。
私は父の目を見て、「ここにいるから」と言いました。

姉の話によると、朝8時半ぐらいまではまだ自分でトイレに行こうとして、押しとどめていたそうです。
ですが、姉が席をはずして戻ったときに、
苦しそうにしており、慌ててナースコールを押したそうです。
すぐには看護師さんも来てくれず、姉も焦ったと言います。
父はその時、私の名前を呼んでいたそうです。

その間、叔父が来て、私が渡した親戚の名簿に連絡して
昼前から午後にかけて親戚があちこちから駆けつけました。
ほとんど市内なので、わりとみな早く来ましたね。
みな、それぞれ父に声をかけると、父はうなづいていました。

血液の酸素量も少なくなって、酸素吸入器もMAXにして。
家族はみな酸素量の数値を見ながら、
父の手足をさすっていました。

その頃はまだ父も足をもぞもぞ動かしていましたが
次第に動きが鈍くなりました。
そのうち、うなづきもしなくなりました。
呼吸も苦しそうです。
『お父さん、もう少しだからね』
私は父に手をふれながら語りかけていました。

途中医師が来て、かなり心臓の動きが弱くなっているから
今日から明日にかけて亡くなるだろうと言われ
親戚に告げると、一度家に戻り、また連絡してくれということで
それぞれ帰って行きました。
母と姉も今晩は泊り込みになるだろうから、その時のために、自宅の座敷を掃除しないといけないということで、病室を抜けました。

そして、病室に残っていたのは、私と甥と姪の3人でした。

その間も、私たちは交代で父の体をさすっていました。
さすっていると数値はあがるけれど、止めれば下がるので
もうすぐその時が近いかもしれないと、私は思いました。

そうして、腕をさすっていた姪がふと言いました。
「ねえ、おじいちゃん。息とまってないよね?」
「え?」
足をさすっていた私は顔をあげました。
父を見ると、顔は微動だにしていませんでしたが、心臓はかすかに動いています。
私は父の胸に手をおいて
「まだ心臓はゆっくりだけど動いてるよ」
と答えながらも、瞳が渇いているような気がして・・・
とその時。

医師と看護師が心電図の機械を持って入ってきました。
それを見て、とうとうその時が来たんだなと思いました。

医師は心臓は動いているというより信号を出してはいるが
ほとんど止まっていると言いました。
私は「まだ耳は聞こえますか?」と尋ね
もう聞こえていないかもしれないけれど
私たちは呼びかけました。
「お父さん、私はここにいるよ!」
「おじいちゃん!」

・・・・・・・・
そうして、5時25分、父は息を引き取りました。
私と姪と甥の3人の前で。
医師が死亡確認をしました。
他の家族は間に合いませんでした。

姉と母は、連絡を受け、家に帰る運転中だったところ、すぐに引き返してきました。
まだ付近にいた親戚の一部も戻ってきましたが
その他の親戚は、自宅に電話すると、さっき会ったばかりなのにと訃報に驚いていました。

その後は看護師による遺体処理が済むまで
葬儀場と寺の住職へ連絡をしていました。
父の遺体は迎えが来るまで地下の安置所に置かれましたが
その時、叔父さんの言うこと(苦笑)
「兄貴はろくな人生じゃなかったなあ・・・」

確かに、父は小学5~6年ごろに父親が戦死して
幼い弟妹を養わなければならない長男でした。
そして23歳の頃、母親を失っています。
(自宅で倒れていたそうです)
貧乏ボロ家で、小姑がたくさんいて、嫁の来てがなかったのか
(母いはく、「騙された」という)当時にしては晩婚で
薄給で家をここまで立て直すには、母も含めて大変だっただろうと思います。(母への仕打ちは別にして)
ちなみに、末っ子の叔父が一番父に迷惑をかけていたのでは?と思うんですがね。

でも、最期に家族に見てもらいながらあの世に行くんだから
それほど悪い人生じゃなかったのでは?と思うんですが
まあ、価値観は人それぞれですからね・・・

そんなわけで、眠るように・・・とまではいきませんでしたが
静かに父は息をひきとりました。
少しでもヒーリングの効果があったのかなと思います。

それにしても、亡くなってから慌ただしいですね。
日々の看病に精魂込めていたので
亡くなった時のことをあまり考えてなくて
(というか、父も嫌がる人だったので)
違う意味で右往左往しています。

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