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野良子猫フクを保護し、数年ぶりに猫を飼い始めた私の、その後フクと過ごした生活と思い出、そして今までのつぶやき
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2012/06/26 (Tue)
5月23日
(午前、病院から一時帰宅した時の書き込み)
立って歩くのが無理そうなので、紙おむつに変わりましたが
トイレに行きたい気持ちはそのままなので
起きあがってベッドから降りようとするのを押しとどめるのにも一苦労です。やはり寝られません。
夜中は看護師の数も少ないので、ナースコールしてもすぐに来てもらえませんしね。
一度、夜に目を離したすきに自分で歩こうとして転倒しかけ、ベッドに柵と
(今までは自発的だったのですが)看護師から家族の付き添いをお願いされました。
なので、家族で交代ですることに。
鼻だけの酸素吸収をしてもらったところ、気分が楽になったみたいで、
前日みたいな症状がないようになったのはよかったです。
本人は、自分の体が思い通りに動かせないのが見ててつらそうです。





(そして・・・)

その日、父は夕方5時25分、永眠しました。



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2012/06/26 (Tue)
5月22日
(貫徹明けで、頭が働かず誤字脱字&はしょった物言い、ご容赦ください)

☆昨日ケースワーカーからコンタクトがあって、医師の話の前に話を聞きたいと言ってきたので、家族が転院先の希望を言いました。
そこで、医師の話とワーカーとの話は別物らしいと知りました。
(ていうかさ、余命1カ月もたないかもしれないっていうのに
介護保険の請求だと?!
そんなの、間に合うわけないじゃない!!
そう、私は涙ながらに言ったよ)

☆20日までの父は、体調が悪いながらも
少しは食べ物を口にし、いびきをかいて寝る状態でした。
しかし、21日病院に行った時、あまりの変わりように愕然としました。
明らかに悪化していて、一人で立てず、また新たな痛みの症状が出てきていました。
そのため、いつもなら駐車代の関係で、途中で病院を出るのですが
昨日は、これはやばいのではと、1日病院からでずにつきそっていました。

☆ケースワーカーの話のあと、今度は医師の話を家族で聞きました。
そうしたらば、医師の話の予約は先週17日ごろだったかと思いますが
もう命がもたなそうだ。
この1~2週間がヤマで、今日かもしれないし明日かもしれないと言われました。
私は父の変わりようを目にしていましたので、とうとうその時が近づいてきたのかと思いました。
医師は最期の処置はどうするか聞きました。
私は自然な形で、と答えました。
そのため、転院の話は白紙になりました。
体がもたないということで、今の病院で終えそうです。

☆部屋に戻ると
何度もトイレに行きたくなるのに、自分一人ではトイレに行けなくなってしまった父が、夜のことを懸念してか
私に夜も病院に残って欲しいと懇願しました。
父は両手をあわせて涙ぐんでいました。
なので、私は昨夜から泊り込みで付き添っていました。

30分~1時間おきのトイレへの介助。
(ポータブルトイレも設置してますがイヤみたいです)
痰やおう吐物の処理。
背中や腰のいたみを軽減するためにさすったりもんだり
もちろんレイキもしていました。
全く落ち着かない状態だったので、こちらも休めず
さすがに疲労困憊です。

多忙な姉ですが、見かねて今日は朝から一時交代を申し出てくれて
今、いったん家に戻ってますが、用事もあり、なかなか睡眠をとれない状態です。
また夜は泊り込むと思います。

早朝姉とすぐに交代する予定でしたが、
父が医師の回診の時も私にいてほしいというので
帰るのが遅れました。
寝不足で事故をおこすといけないので、
休み休みしながら家に帰ってきました。

父は余命を知らないのですが(家族が「とても言えない」と)
「もうあかんわ」と言いつつも
今はこの症状をなんとかしてほしいと医師に訴えています。
25日予約してある持病の診察も気にかけています。
そんなことは心配しなくていいんだよと言いますが
つらそうな父を見ているこちらも、つらいです。

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2012/06/26 (Tue)
5月19日

ちょっと浮上しました。
とりあえず、17日の件は
まず医師の話を聞いてから考えます。
それで困ったら、専用相談窓口でも相談してみようかと。

やはり同じような方はいるみたいですね。
医師や看護師さん個人も好きで言ってるわけではないと思うんで
やっぱ根本的に法律とか医療体制が問題なんでしょうね。
悲しいですが。

どうしても近くに入れてもらえるような病院がなければ
自宅での訪問看護ということも視野にいれないといけないかなと。
(もっとも訪問看護ステーションの質にもよりますが)

ただ、それはそれで準備とかあって大変ですが
バタバタしてもう息つく暇もないなあという感じです。
(それに覚悟もいるだろうし)

そんな中でも、
病室でいびきをかいて寝る父を見てるとホッとします。

昨日もなんとか1日過ごせました。
ありがたい、ありがたい。

まあ、気分がすぐれず、食欲不振なのは相変わらずですけどね。
あとはトイレの便通が通常じゃないので、それが困るかな。
今はキリがないので紙パンツ使用。(自分でトイレに行くし交換できます)
ヒーリングマラソンしてもらった時はちゃんとしてたみたい(笑)

ちなみにこないだから吐き気がひどい時は
吐き気止めの注射をうってもらうようになったんだけど
(というか、父の希望。薬とか処方してくれというんです)
頓服みたいなものだから、しょっちゅう使っていてはこちらも心配です。

なので、昨日も
(私がいる時だったんでよかったけど、いない時はたぶん注射してもらうと思うんです)
「なんか気分が悪くなってきた。注射してもらおうか、どうしよう」
と父が言ったので
「う~ん、あまりしょっちゅうだと体に悪そうだけど。
我慢できないなら仕方ないけど、前はいつ打ってもらったっけ?」
と言ったら
「じゃあ、やめとこか」という父。
「寝るとの起きてるのと、どちらが気持ち悪い?」
「どっちでも・・・」と言いつつ、父が横になったので
「じゃあ、気を紛らわすように寝させてあげるから。余計なこと考えない」
と言って、父の額に手をあてました。

んで、10分ぐらいたったところ

ぐー。

といびきをかいて寝はじめたので、「よし」と思いました。

よし、次からこの手で行こう(笑)


難しいことはできないけど、これぐらいならできそうかな。
また「寝させてあげる」というと暗示にもなってるかなとか思ったり。

追記:夜、寝不足なんで寝るというのもありますけどね。
気鬱なことはたくさんありますが、こんな状態なので不安を言ってはきりがないです。

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2012/06/26 (Tue)
5月17日

え~、なんといいますか
前もって言うと、今日も落ちこんでいます。
まあ、父の体調もよくはないんですけども
それよりも病院側の体制がね・・・っていうか
父のことを考えると、落ちこみます。

先日医師が今後のことで3つの選択肢の話をしました。
その時の1番目。
入院しつつ、体調がよければ外出も可。
っていうのが、1番いいかもな~と家族で言ってたんです。
もっとも、今や外出も無理そうなので父も家に帰らず
病院内しか動けないんですが。
で、その3つの選択のうち、今すぐ決められないと思うので
ってことで、また返事をすることになっていました。

そうして、母が今日ナースコーナーへ返事をしに言ったんですが。
そこで母は複数の看護師さんから
「ここは救急病院なのでベッド数もたりないから出てって欲しい」
というようなことを言われて驚いたそうです。
そりゃ、医師の話を聞いた時
家に引き取れと言われなかったな~と日記にも書いたけど
返事をしたら、この対応って、それじゃああんまりです。
医師の話とは違うじゃん。
それなら、はじめからちゃんとそう言ってくれたほうがマシだったかも。
要するに追い出したいけど、言いにくいから回りくどい言い方をしたのかな。
結局は診療報酬とかの経営の問題もあるでしょう。
緩和ケアだけの入院は行っていないのかもしれません。
確かに、大災害の時でも医師は
致命傷でもう助からない人は放っておいて
助かる見込みのある人だけ治療しますよね。
限られた時間と人力の中で、一人でも多くの命を救うために
あえて助かる見込みのない人を切り捨てなければならない。
つまり、そういう切羽詰まった場面だったら
腹を立てるのはお角違いかもしれません。
でも、その切り捨てられた人たちの家族はさぞ悔しかっただろうなと思います。
しかも、1か月ももたないかもしれないと言っておきながら
1か月も置いてくれないのかと思うと、悲しくてなりません。

母が脳梗塞になった時も、某首相が制定した法律のおかげで、病院は診療報酬等の関係で、症状が重かろうが軽かろうが関係なく3カ月以内に退院させ、リハビリ病棟に転院させなければならないという流れだということを知りました。
そうして、希望のリハビリ病棟に空きがなければ、リハビリ難民になってしまうのです。

今回の場合、もはや病院から見放され、治療もできない患者はガン難民と呼ばれますが、さらに病棟難民にもなってしまいそうです。

とはいえ、今日はいきなり母が看護師さんから聞かされただけで
また医師に都合を聞いて話を聞かなければなりませんが。
はたして近くに転院先があるのかも心配ですが
何より、裏で治療は何もできないという医師に
「お願いします」と言う父を思うと・・・
それなのに、病院を出ろだなんて
それこそショックで命を縮めないか、そちらのほうが気がかりです。

そんなわけで、今や看護師さんの
スマイルや優しい声かけも
超ウソくさいものに思えて仕方がありません。
(まあ、仕事だし、本音と建前があるのはわかりますけど)
父がおざなりにされないかとも思ってしまいます。

本当に、母から看護師さんから何か言われたと聞いた時は
これ以上、なんの悪いことがあるのかと思いました。
そして実際、
これ以上病院からダメージを受けるとは思いませんでした。

以前、TVでも見ましたが、介護が必要な患者がいて
今の病院でみてほしい家族と、施設に出したい病院側の仲裁に
専属のケースワーカーさんが入って話しあい、
結局その人はお金の関係もあり、県外の施設に移ることになったそうです。
その時ケースワーカーさんは「時には追い出し屋と呼ばれることもあります」と言ってました。
そういうケースが、うちにも来たんだなあ・・・
ホントに他人事じゃないですよ、皆さん(苦笑)

そういえば、雑誌で「死ぬなら癌で死ぬのが1番いいですよ。最後まで意識がありますし、準備できますからね」なんて言ってた大学の医師がいましたが、その医師は自分が病院をたらい回しにされることなんて思ってもいないんでしょうね。
意識があるからこそ、辛いことだってあります。

病院帰りの車の中でも、客観的にみても「私、かなりダメージ受けてるよね」とか思ってました。

とまあ、体調のイライラもあって、カッとしちゃダメ~!と自分に言い聞かせ、ヒーリングしなきゃ、とか思ってましたが、お風呂に入ってちょっと落ち着きました。ふう・・・

あ~あ、近くにケアの充実した病院があったらなあ・・・
(まあ、あっても満室だろうけど)
まだ、県内でもそんなにないんだよな~(たった3つ)
医師から言われたところも遠いんだもん

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2012/06/26 (Tue)
5月14日
今日もなんとか過ごせました。
ありがたい、ありがたい。
でも、父の調子が昨日からいまいちで
(いきなり見舞客がたくさん来て疲れたのかも)
父を思うとちょっと心が痛いことがあったので
書くのも億劫でしたが、まあ、なんとか。
ヒーリングのおかげか、それほど涙が出なくなりました。
しかし、一方体調不良でイライラ感があるので
またサプリを飲んで、セルフヒーリングをしようと思います。

余談ですけど
私が手を当てていると、結構父が寝てしまうから
その間にこっそり帰ることがある。ということを姉に話したら
「あんたはそれができるでええわな」とか言うんですよ。
じゃあ、姉さんもレイキを習えばいいんじゃないかと思うんですが
その気はないんですよね。

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2012/06/04 (Mon)
5月13日

父は連休明けに外来のまま入院し、家に帰ることができないでいます。

というのも、あのあと医師が言う選択肢が
1)ずっと病院で入院している(動けるなら外出・外泊も可)
ただし、緩和ケア病院専門ではないので十分なケアができるか。
もし入院したままだと、残された時間を有効に使えないかも。
2)動ける間は家にいて、具合が悪くなったら外来・もしくは入院
(ただし、外来だとなかなかすぐに対応できない場合がある)
3)入院してて緩和ケア病院の空きを待つ(ただし、命がもつかは不明)
の3つでした。

まあ、経営で言えば、あまりいてほしくない患者なんでしょうが
とりあえず家に戻れとは言わなかったなあと思いました。
で、1番がいいかもしれないなと家族が言ってて
土日ぐらい家に帰ったほうが張り合いがあるんじゃないかと思ってました。
そして私たちは父もまた家に帰りたいだろう。
そう思ってました。

でも、どうやって不自然なく父に言おうか困ってしまって
みんな難しい役目を引き受けたがらず喧嘩になったりして。
結局、母が病院に行ったついでに
「土日に家に帰ろう」と言ったんですが。

父の言葉は否でした。
それも、理由が体がえらいから。
帰りたいけど、入院しているほうが楽だから。
それを聞いては何も言えませんでした。
たぶん、体力の低下で車に乗ったり移動したりするのがえらくなったのでしょう。
でも、自分の体をよく知っている父の判断ですから仕方ありません。
今覚えば、連休明けの緊急入院の際
入院の準備をしに、私は一時帰宅しましたが
父はえらいから残ると、家に帰らなかったのです。
本当にこのG.W.中が苦しかったのでしょう。
今更言っても仕方がないけど
あの時もっと早く専門医に診てもらえて入院していたら・・・(癌はともかく)症状の緩和に対処してもらえたのではと残念でなりません。
(病院には連絡したけど、休日のため対処してもらえませんでした)
母は父に「家に帰ろう」と言った時(私は席をはずしていましたが、戻った時、)母は涙ぐんでいました。
(ちょっとまずいよ~、そんなことぐらいで涙ぐんだら)
とか思いましたけど、それも仕方ないですよね。
もう家に戻れないかもしれないなんて、考えたら・・・ね。
たしかに自宅では、廊下や扉・段差があって
たびたびトイレに行くのも大変かもしれません。
具合が悪くなったら対処してもらえるし。
(それに今ではほとんど「寝て・上半身起きて・トイレと洗面所行って・寝て・・・」の繰り返しですから)
そんなわけで、家に帰るという話はおしまいになりました。


当然と言えば当然なんですが
あれから家族がピリピリしててね~
ちょっとしたことで喧嘩になっています。
特に、姉が神経質になったかな。
今まで動けなかった(動かなかった)分、いろいろ指図をしたり、物をもってくるようになりました。
ようやく危機感をもったのでしょう。私にしてみれば遅いと思いますけど。
私は何度もこの病気の質の悪さを説明し
姉には後悔のないように、と言ってきたのですが
現実としてとらえていなかったようです。
というよりも、考えないようにしていたのでしょう。
でもって、母が葬儀の準備について話すと激怒しています。

私は特に父に対してしていることは、今まで通りです。
今まで通りのことを続けるだけです。
でも、歩くのがえらくなってきたから運動はできないし・・・
なので、寝ながらできることを考えるかな。
あと、入院食を食べ(られ)ないと体力が落ちて困るので
医師から今まで食事療法をしていた持病が悪くなるよりも
癌のほうが早いから気にしなくていいと言われたから(それも微妙)
この際口にできるものなら何でもいいやと
家から差し入れを持って行っています。
今日も昼前に父の好きな素麺を炊いて土鍋に入れて持っていきました。
着いた時には伸びて汁もなくなってたけど
父には珍しくよく食べていたのでよかったです。
(あとで気分悪そうだったけど)

そういえば、今朝はわりと顔色もよく、快便だったらしいから
今日は調子よさそうかなと
ヒーラーさんのおかげかもしれないなと思いました。

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2012/06/04 (Mon)

(前半はヒーリングに参加して下さった方へのお礼と、なぜ必要だったかという説明です)

5月10日

うすうす察していらっしゃったかと思いますが、
父は癌に侵され、手術したもののすでに進行しており、今は余命いくばくもありません。

その癌は、癌の中でも「早期発見が困難で、見つけた時は手遅れが多く、手術できるのも全体の2割、たとえ手術をしたとしても余後も悪く、再発・転移もしやすく、進行がきわめて早い、使える抗がん剤も数がなく効き目も効果が薄く、未だ延命治療法が確立されていない生存率のきわめて低い、余命単位も年ではなく月単位の、癌の王様」と呼ばれるものです。
(すみません、病名さえ書くのも拒否反応してしまうのです)

父も例にもれず、指摘されたのはほんの数か月前だというのに
今ではもう食事も量も少なく、起きあがる時間も少なくなってきました。
持病と高齢で薬の投与もなく、すでに手の打ちようがない状態です。

それでも私は父がこの数ヶ月間頑張ってきたことを知っています。
父は(何度も日記にも書いていますが)「なにくそ、病なんかに負けるか」という人でもなく、「もう長生きしたから十分だ」という人でもなく、本当に死に対する恐怖が大きく、すぐに凹んでしまう人です。
そんな父を私はそばで、できるだけ前向きになるように必死でサポートしてきました。
けれど、病の進行は容赦なく、私自身も何度もショックを受けたかわかりません。
父には家族抜きで医師から説明されたことは言っていませんが
入院していても、もう医師が何もしてくれないことに、うすうす察しているようです。
それはとてもとても不安なことです。絶望を感じていることでしょう。
医師は治療できる間はちゃんとやってくれますが、治療ができないと、何もしません。心のケアなどしてくれません。
(緩和ケア専門病院ならいいですが、遠方でしかも順番待ち。入れるかどうかは別にしても、そこへ入るまでに命がもつかどうか)

私は、これまで頑張ってきた父を癒してほしかったのです。
医師に見放された父を、これから自分の身に起こるであろうことに対しても
少しでも不安を取り除き、安らかであってほしいと願ったのです。
少しでも今の不快な症状がとれるのであれば、それに越したことがありません。
もしよろしければ、そう長くはないかもしれない父の命がある限り、こっそりでもサポートしていただけると大変ありがたいです。
本当に今回はありがとうございました。感謝いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヒーリングの呼びかけをしたのは、医師の話を聞く直前でした。
その少し前の日、私はまだ状況がわかっていない姉に
「あの病気の余命は年ではなく、月単位だよ」と言いました。
母には「もし、余命○カ月と言われても、データ上のことだから」と
クッションを置きました。
そしてそれが功を奏しました。
医師の言葉を聞いた時、誰も涙を見せませんでした。

医師の言葉では
父はもう何もできないと言われました。
それもあと1カ月もたないかもしれないとも言われました。

でも・・・驚きはしませんでした。
(辛いけど)やっぱりか・・・という思いでした。
なぜって、今までの父の状態を振り返ると1月ごとに悪くなっているのですから。

1カ月だなんて、本当に早すぎます。
考える暇もありません。
ついこの間、わかって、手術して、退院して、症状がでて、
そうしてもう手の打ちようがない。

だから、考えたくはなかったけれど
父を看病する一方、家族は万一の時の(お葬式などの)ことも考えなくてはならなくなりました。
もちろん、あってほしくないことです。

そして医師が話をしたその日を境に
父は段々と体を起こす時間が短くなってきたように感じました。
(でも、まだ自分で歩けます)

気分がすぐれないため、ずいぶん前から食事も少なくなっています。
(でも、自分で食べられます)

父は私が渡している健康食品は忘れずに口にしているのですよね。
それも切ないです。

だから、手を当てていびきをかいて寝ている間はホッとします。

私はこの入院から、夜9時まで付き添っています。
これからよくなることのない父を見守っていかねばなりません。

私はこのために、今の時間があるのだと思います。
(だから、退職しなければならなかったのかと思います)
1日でも長く父を見ていたいです。

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2012/06/03 (Sun)
(残された時間の中で、いったい私に何が出来るのか。
そう考えて、まだしていないことといえば・・・
レイキのヒーリングの協力を仰ぐこと。
とても勇気がいりました。不安でした。
まだ参加してまもないSNSで、どれだけの方が手をあげてくれるのか。
それでも、せずに後悔するよりは・・・と思い、呼びかけました)

5月9日

正直、医学的に父の体はもうダメかもしれません。
病気の進行を止めるすべがありません。
そして今日、看護師から呼び出しを受けました。

明日の夜、昨日のあの若い内科医の先生の話を聞くことになります。
それは「本人抜き」で、です。
今までずっと、父も同席していましたから
おそらく、末期だということと、余命などを聞くのではと思います。
今更わかっていることを、どうしてまた聞かされなければいけないのか。

辛いです・・・
本当に辛いです


でも、見た目はそれほど悪くみえないんです。

頑張って今日も食事を食べていました。
私が足が冷えていると思って、ひざ下を温めていたら
いびきをかいて寝ていました。
(ここのところ、自分でもレイキが扱えなくなったかと思うぐらいでしたが
今日は感じました)

今更遅いと思うかもしれません。
それでも、少しでも父を癒してほしいのです。
これは期待・・・とかではなく
ただただ癒してほしいだけなんです。

力のない娘からですが、どうかよろしくお願いします。

こっそりでもかまいません(コメントはおまかせします)

名前は「・・・・・・・」です。

時間は問いませんので、気が向いたらで結構です。
よろしければ、どうぞお願いします。

(そうして5人の方が、参加してくださって本当にありがたかったです。
ちょうど設定した日は、父の調子もよかったし。
必要な時に現れると思ったので。
今思っても、やって呼びかけてよかったと思います)

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* ILLUSTRATION BY nyao *