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野良子猫フクを保護し、数年ぶりに猫を飼い始めた私の、その後フクと過ごした生活と思い出、そして今までのつぶやき
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2013/03/19 (Tue)
父の品と、その思い出を少し書く

お父さんの服は、ほとんど処分したけど
まだ少し残っている
捨てるのがもったいないぐらいのスーツと
普段私でも着られるもの
中でも寒がりだった父はジャンパー類が多かった
否、寒がりでなくても何十年と生きていれば多くなるか

その中の1つのジャンパーは
特に父がよく着ていたもので
古いというか、しみや火の粉の穴とかの汚れがあるが
中が暖かそうで、捨てずにこの冬私が家の中で着ていた。
そのジャンパー、生前父の背中を見ながら私はよく言っていたものだ

「お父さん、これ穴があいてるじゃない。
もっと新しいの、買えばいいのに。
みっともないなあ」

でも、いざ自分がそのジャンパーにそでを通してみたら
父が手離さなかったことが納得
これは、暖かいわ
てなわけで、汚いながら、私も捨てられずにいるのだった

・・・・・・・・・・・・・・・・

父が亡くなって、もうすぐ1年になる先日
父宛に、免許の更新および高齢者講習のお知らせハガキが届いた
そうだよなあ・・・死亡届ないもんな
お父さん、最後まで車の税金を払おうとしてたし
元気なうちに、免許を返すこともできなかったね
あんだけ、運転危ないよって言っていたのに
いつも高齢者講習で、認知テストの出来がよかったことを自慢げにしていたのに
もう、更新できないんだよね
きっと、生きていたら、また更新に行こうとしただろうに
それを思うと、ちょっと泣けてくるな

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2013/03/08 (Fri)
それまでは普通に過ごしていたのに
昨夜、部屋を暗くして、ふとんに入って横になっていると
また父の亡くなる前日から当日のことを思い出して
泣けてきた
泣くと鼻水が出て、鼻がつまる
そのためしばらく眠ることが出来ずに
翌朝寝不足になる

いつになったら、忘れることができるんだろう
いつになったら泣かなくなるんだろう

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2013/02/03 (Sun)
といっても、節分が悲しかったわけではありません。
たまたま今日が、悲しかっただけです。

体調もよくありませんが
気分も最低です
今日も母の言葉ですごく悲しくなりました
でも、母は私が気にいらないから泣いたと思っています
たしかに、気がいいとはいえません。
好きで田も相続したわけではないのに
母が自分が管理するのが面倒だから押しつけただけなのに
「お前の田」とか「名義を替えた」とか言うので、悲しくて腹立たしくなったのです

そして、それはやはり父の死があったからで
だから泣きました
たぶん、泣かなくてもいいようなこととおもうだろうけど
泣けました

でも、母にはわかりません
母にはただのわがままと思われています
なので。私だけが異質。
周りが正しくて、私がおかしい
母は私が元の状態になることを願ってはいますが
願って説教するだけでわかろうとはしません

しかも、黙っていればいいのに
わざわざ説教を紙に書くので、怒りで頭が沸騰しそうでした
やはりおかしいのかな
お金と、十分な収入の仕事があったら
一人暮らしするのにな

と、何度も何度も涙を流した日ですが
今日は節分
父のいない初めての節分

父はこういう行事は結構マメな人でした(シャレじゃないよ)
家族の誰も一緒にしないのに
一人だけ(まあ、一家の主がするらしいけど)豆を持って部屋をまわっていたっけ
こうやって、私がPC部屋でいても、
父が入ってきて豆をまいていた
もう、その父はいないし
母もたぶん忘れて寝てしまったと思い
なんとか、父の代わりに豆まきをしようと思った

豆は母が神棚にあげようとして(実際は手が届かず)
下においてあったのを見つけ
部屋に数粒ずつまいた。(掃除するのに困るから)
福は内、鬼は外

フクも来ないかな・・・

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2013/02/01 (Fri)
父はとてもこまめで、何でも記録する人だった
だけど、それが遺された者にとっては辛いこともある

私は父が亡くなって、早々に父の病院関係の物を廃棄した
父は今までの検査結果等すべて残していたが
思い出すのが、つらかった
でも、まだ廃棄していなかいものがある。
それは、父がずっと書いていた病院の手帳と
それからカレンダー数年分とその他一部

亡くなって8カ月
カレンダーのほうは、今日2012年のものをようやくシュレッダーにかけた
父は短冊型のカレンダーに、スケジュールを書き込んでいて
それが何年も重なり、増えていた。
でも、2012年の5月に入院してから家に帰ってこなかった
だから、見るのもつらくて、でも、廃棄できず放置していたけど
今日思い切って捨てた。
シュレッダーにかけながら、父の悔しさを思い出して涙が出た
家に帰りたくても帰れなかった父
まさか5月の連休明けに書いた文字が、カレンダーの最後になるなんて
本人も思わなかったことだろう

でも、もっとつらいのは手帳のほうだ。
今、まだ父のベッドの傍らにある。
ほとんど父の物は処分したり、整理したけど、それはまだ残っている
手帳の内容は闘病生活をつづったものではない
今まで病院に通っていた時、医師から言われたことを記録していたのだ
それも何冊かあって、最後のほうは、付き添いの私の字が増えて
そうして、最後は父の毎日の検査数値と、死亡時間で終わった。
これは遺した方がいいのか、捨てた方がいいのか
思い出したくない、でも、父の文字も残っている

父が書いた備忘録は、義理などで参考になるからこれは残しておく
今、備忘録はPCで整理中なのだけど
病気のメモは見たくない。
日記ではないけど、父のがんばりがわかるから、つらい
どこかに封印でもしようか
でも、きっといつか誰かが処分するだろう


(そういえば、父はこまめだったが日記は書いてなかったなあ)


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2013/01/17 (Thu)
これはカテゴリーに迷った。
父のことであるし、夢のことであるし、私の心のことでもあるので。
結局、「父」にしたけど。

昨夜は母がいらんことを言ったおかげで
また姉に対する鬱憤を思い出し
さらに木枯らしがひどくて音が騒がしく
よく眠れなかった。
なので、何度も目を覚まし、寝返りしては水を飲み(傍らにコップ)。
そんな朝方に見た夢だと思う。

なんで「再び」とあるのかというと、
また父が病気である過去に戻った夢だからだ。
そうしてまた、私はなんとかならないかと必死になる夢だからだ。

私の意識はまた父が病気になる時間に戻ってしまい
頭の片隅で
今はいったいいつ頃なんだろうか。
今だったら間に合うだろうかなどと考えていた。

そうして、父が痛みを感じるとすぐさま
「病院に行って!」と叫ぶ。
前よりも少しだけ早い手術。
助からない病。

なのに、夢の中で私は魔法のようなアイテムを手に入れていた。
まあ、魔法かどうか効果は夢の中では発揮されなかったけど。
なぜか私は黄色い梨だったか、桃だったか覚えがないけど
この果物を食べればなんとかなるかもということを言っていた。
それも姉に「お姉ちゃん」と言いながら。
(は、お姉ちゃんなんてもうずいぶん言ってないな。
昔のことを思い出していたからだろうか)
しかも、それはすぐに食べられずに
育てなければいけないみたいで「間に合うといいけど」と言っていた。

しばらく時間がたったのか
ベッドで寝ている父の横で、私も横になってみる。
そうして、例の果物ができたよと、お皿に入れて持ってきたのは
誰だったろうか。自分だったか覚えがない。
それを食べ易いように細かく切って・・・というところで記憶がない。

私が姉に感じているのは不安の種。
家をとられるんじゃないかと言う不安と
一般の人生を送っている妬みだろう。

なんで私はこの世に生れて来たんだろうか。
性別が違っていたらよかったのか
年が離れすぎていなければよかったのか
いずれにしても、私はアウトロー的存在だと思う

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2013/01/02 (Wed)
朝、ふとんの中でゴロゴロしていたらバイクの音が聞こえた。

あれ?年賀の配達?
うち、喪中なんだけどなあ・・・
もしかしてあれかな。初売りとか業者のDM。
そうかもな・・・
でも、民営化になって以来、年賀はがきが届くのは午後になってたんだけど
こんなに早いのって初めてじゃないか?

そう思いながら、起きだしてポストから取り出したら
年賀状が7枚入っていた。
1枚はやっぱり業者さん。
1枚は母がリハビリで通うクリニック。(まあ、これも宣伝か)
1枚は、血縁のない親戚。
この人は父の訃報を知っているし、お葬式にも参列していただいたし
知ってて年賀を出しているということ。まあ、母あてだしもらう分には問題ない。
ちょっと驚いたけど。
しかし・・・
中の1枚、名前を見て、なんじゃこりゃ~!!
ここ、喪中ハガキ出したのに、父の名前宛てで来てるよ~
私、この人の名前書いたの、覚えてるし。
と思ったら、後で調べたらもう一人、そんな人がいた。

見てないのかなあ・・・とボヤいたら
母が「違う人が作ったんだろ」と言ったから
そうかもしれないと思った。(まあ、ごくたまに郵便事故もあるだろうけど)
例えば、喪中ハガキは11月の初めに出したけど、
受け取った本人がハガキをどこかに紛失したままとか、あるいは高齢で体が不自由だとかで、気付かずに代わりに年賀を作る担当の子供とか(別居だったら余計に気付かず)が、そのまま昨年通りにPCで印刷したとか。
それならありえるかも。
一人はお葬式に香典までいただいた人なんだけどな。
(でも、母は知らない人だというから、昔の仕事関係かもしれない)
とりあえず、その二人は寒中見舞いはなしにする。

で、残りの2枚の年賀は、昨年の父宛の年賀に名前がなかった人だった。
(昨年の父宛の年賀を見て、喪中葉書を出したから)
なんで、昨年来なくて今年来るんだよ~!と言いたくなる。
たまたま昨年だけ父に出さなかったのか出し忘れたのか、
事故で届かなかったのかわからないけど
いずれも、たぶん、これまた父の仕事関係の人っぽい。
なので、この二人には後日寒中見舞いを出して訃報を伝えようと思う。
余った葉書もないし、喪中葉書の書き損じがあるから、新しいものに交換してもらってから作ろう。
(あ~あ、また仕事が出来た)

ちなみに、
日中一人で部屋にいたら、また父の闘病の時の
つらい思い出がよみがえり
悲しくてまた泣いてしまった。
やっぱ情緒不安定かな。

それとは別に新年に墓参りするといいと聞いたが、
寒いしだるいしで行く気力がないので
仏壇の前でご先祖さまにお経を読んだ。

家のことで憂鬱になる。
私さえいなければと思うこともある。

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2012/12/27 (Thu)
今日はひどく冷えて霜がひどかった。
最近朝早く出かけることはなかったが
今日は久しぶりに早く家を出たので
いざ車に乗ろうとして、前のガラスが霜だらけなのに焦った。
また霜スプレーの準備しなきゃ。
って、遅いよな。
今まで、父がいつまでもいろいろとおせっかいをやいてくれていたから
「明日は凍るから気をつけろ」とか
「ほれ、買っておいてやったぞ」とか
「早くタイヤ交換せなあかんぞ」とか
もうそんな言葉は聞けないから、これからは自分で準備しないとな。

あ、また涙が・・・


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2012/12/12 (Wed)
父の死後、体調を崩していた私だが
6月から続いていた神経痛らしきものが、ようやくなくなったようなので
再度求職活動をしようかと、ネットでハロワや求人情報を見ていた私

とりあえず、少しでもお金が欲しいから
短期間でも自分でできそうなものをやってみよう

そう思っているが、なかなかない
事務系だとは思うが、経理とかはしたことないし自信もない
なので、やっぱ公務かなあとか思って。
そうすると、シーズン的には税務・・・・

で、今日某市役所が載って来たんですよ
前に載っていたのは少し通うのが大変な場所でしかも駐車場がない!
そこならまだ近いし、いいかも・・・
まあ、ダメならそれでいいじゃん
とりあえず応募のれんしゅうにもなるしさ
と言い聞かせて、とりあえずはハロワに行こうと
急に思い立った。

で、1年前のハロワカードを持って、可能かどうか尋ねると
データは残っているが、無効になっているので
有効にするには一度相談窓口に行かないと・・・ということだったので、お願いした。
待つこと数分。
名前が呼ばれたが
なぜか1番端っこの、窓口番号さえ付いていない場所
担当者はおじさんだった。

私のデータは残っているが、1年前のものなので、修正箇所を確認するようだ
ほとんど変わりはなかったが
1つだけ。
環境が変わったため、希望時間が変わった。
父が亡くなったから。

それだけで、鮮明に思い出したわけではないのに
この1年が一瞬で過ぎたような感覚になり
また涙がこぼれた。しかも、また鼻水まで出てきた。
自分でもこれはどうしようもない
ましてや、担当の人も困ったことだろう。
無視してもいいのに、「ちょっと待って」と言って何をしにいったのかと思えば
ティッシュペーパーだった。気になるからと言って。
ああ、わざわざ取りに行ってくれたのか。でも1枚じゃ正直足らないよ。
でも、そのあと業務に関係ないのに
自分も7年前に奥さんをなくしたこと
猫が癒してくれたこと
しばらく何年も家から出られなかったこと
何度も何度も乗り越えてきたことなどを語ってくれて
「無理せずに、アルバイトからはじめて少しずつ慣らしていこう」とアドバイスをくれた。
無理ならやめればいいと。
普通なら仕事を続けることを勧めるかと思うのに
この人はやめてもいいと言った。
そんなにちょこちょこやめたら、経歴がふえてしまうじゃないか。
そう言ったら、「そんなもの、気にしなくていい」ってさ。
体が1番だって。
そりゃそうだ。
(もっともお金の心配がなければの話だけど)
でも、そう言ってもらえて、たまたま当たったおじさんだけど
このおじさんでよかったと思った

で、その後税務関係のバイトのことを話すと
これも気づかなかったが、どうやら税務署のほうのデータも公開されたようで
それならこちらのほうが人数が多いからってことで、話をすると
すぐさまおじさんは電話をかけて、面接の時間まで決めてしまった。
正直、あれよあれよと言う間だ。
なにせ、某市役所のほうは書類選考で、まず郵送ありきだったから
のんびりしていたんだけど
こっちはまず面接だからびっくりだ
帰って支度しないと・・・
急に慌ただしくなってしまった

まあ、採用されるかどうかわかんないけどね

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* ILLUSTRATION BY nyao *