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2015/05/03 (Sun)
昨夜胃もたれでゲロを吐いた母だったが、
カラオケ教室の発表会の日も問題なく出かけて行った。
今回は母は参加せず観覧だけだが、姉が連れて行くと言うので任せた。
母が別に私に「頼むわ」と言っていたらしいが、毎年のことだからか姉は「私が」というのでそうなったらしい。
どうも姉は自分が母を連れて行きたかったようだ。
それは私に対して気を遣っているのか、自分が少しでも母とつきあいたいのかわからないけれど。
そんなわけで、母がいない間
私は朝早くから(返す予定の)畑に行って、処分した野菜くずや草を焼きに行った。
明日雨だというし、多少曇っていると肌寒くて近所の人も窓を閉めてもいいかと思って。
煙は近所迷惑で申し訳ないが、最後の片付けで量も多いから仕方がない。
(というか、うちも裏の畑の人に迷惑しているから田舎はお互い様)
まあ、結局はなかなか火がつかず、燃えた量もたいしたことがなく
煙をだして燻っていただけで残念だったけど。
でもまあ、柵代わりに組んでいた長い金属棒は処分に困っていたのを、近所の人に声をかけたら引き取ってくれたのでよかった!
ただ、母が朝効果が強い方の下痢止めの薬を飲んでいったか気にはなったんだけど。
でも、母は早くも昼の12時半過ぎに戻ってきたようだ。
お弁当は会場で事前に注文してあったものを持って帰ったようで、家で食べたらしい。
姉にも1つ弁当をもたせたとのこと。
その頃、私は畑から戻り、昨夜寝付けなかったので眠気のあまり横になっていたし
姉と顔を会わせたくなかったから、母たちが帰ってきた時に起きなかったんだけどね。
にしても、姉はホントにただでは家に来ない。
後で話を聞いたら、今回姉は娘の新居用に(母が昔仕立てた)良い布団をもっていったらしい。
まあ、母が許可したわけだし、別にいいけど。
多少家の中の空間が広がるなら、それもよし。
しかし、持っていく時は重い物でも一人で運ぶんだよな(ーー;)
きっと母が亡くなるまで、何かしら少しずつ家の物を持っていくだろうなあ。
絶対他のふとんも持っていきそうだよな。
でも、法事に使う座布団だけは持って行っては困る。
姉のことだから、またいずれ「貸して」と言いそうなのがイヤなんだけど。
だって母いはく、貸したら戻ってこない物も多々あるようだし。
だから近すぎてもイヤなんだよなあ。
どうせなら納屋にある粗大ゴミになる物ももっていってほしいわ。
まあ、それはさておき。
眠気をごまかしながら、動いていたんだけど
ちょうどいい塩梅に曇ってるし、田(休耕田)に行くにはちょうどいい天気。
とはいえ、除草剤を蒔くには明日は雨だからダメだとして。
そうだ、母が「ウドを採りに行きたい」と言っていたっけ。
いつもならこの時間「水戸黄門」の再放送を見ているけど、
休日だから放送してないし。今日は暑くないし・・・
そう思って、夕方母に声をかけた。
そしたら案の定、食いついた。
ただ、時期的にちょっと遅いかなと思ったけども。
そして田へ連れて行き、私はウドのある場所を教えてもらった。
てっきり田の畔に生えているのかと思ったら
田の中に母が以前植えたものだったようだ。
私は知らなかったから、今まで草と一緒に刈っていた可能性もあるなあ(^-^;
そもそも私自身ウドを食べないから、ウドの葉も知らないし。
で、「ここ」と言われたところには何本か確かに生えていた。
母の希望通り根本で切って母の足元に放り投げると、母が葉を手早く葉をとって処理していた。
さすが山菜のことになると、動きが違うと感心。
それしにても、なかなか草刈にも来れないのだけど
またセイタカアワダチソウがたくさん伸びてきていてウンザリする。
また草刈に来なくちゃ。
帰りにこれまた田に植えてある花を、母が「持って帰りたい」と言うので、それを切り。
ついでに最近母が行っていない(私が片付けをしている)畑を見に連れて行き
「この部分の片付けはどうするのか」とか細かな指示を仰いだ。
その時も周囲に咲いていた花を見て、母が「仏さんに供えたいから」と私に花を切らせる。
それはいいけど、私疲れてもう花を供える気力ないんだけど。
こないだ花を替えたのに。
あんたがしてくれたらいいんだけどねと言ったら渋々な母。
まあ、その代り仏壇からおろしたり運んだりするのは私になるだろうけどね。
で、帰ってきたら、なんと母がまた下痢。
聞いたら、今朝はやっぱり下痢止めの強い薬を朝飲まなかったんだって。
3日目だからと気にはなっていたようで。
でもまあ、まだそんなに便座ひどくも汚れてなかったから、その点はよし。
ただ、今回はゴロゴロがなく、いきなり下痢が出たのでびっくりしたらしい。
下痢は残念だったが
母はウドの準備をしてさっそく夕食に食べて満足していた。
それにしても、ウドってこんなに緑だっけ?・・・と思ったけど
そうか、巷で見かけるウドはなんかかぶせてあるから白いんだよなと気づいた。
全然ウドなんか食べないもんなあ・・・
あと母が好きなのはイタドリなんだけど、母いはく「もう時期が遅い」って。
そうかなあ・・・私はイタドリは夏だと思ったんだけど、違ったか?
っていうか、私が子供のころに通ってイタドリを齧った道は
もう両側舗装されていてイタドリはないんじゃないかと言ったんだけど
母は「いや、ある!」と見ていないのに断言するのがおかしい。
きっと車に乗っていたら通り過ぎてしまってるね。
食べさせてやりたいけど、もう時期が遅いんじゃなあ・・・
まあ、また気が向いたら運動がてら歩いてみようかとも思うけど。
ああ、そういえば、敷地内に作った小さい畑に
秋に蒔いた「つるなしさやえんどう」が実をつけたので収穫した。
ここの日記にも書いたけど、つるなしえんどうの種の時は母が癇癪を起こしたよなあ
と、まるで昔のように懐かしく思い出した。
きっと母は忘れているだろうけどね。
カラオケ教室の発表会の日も問題なく出かけて行った。
今回は母は参加せず観覧だけだが、姉が連れて行くと言うので任せた。
母が別に私に「頼むわ」と言っていたらしいが、毎年のことだからか姉は「私が」というのでそうなったらしい。
どうも姉は自分が母を連れて行きたかったようだ。
それは私に対して気を遣っているのか、自分が少しでも母とつきあいたいのかわからないけれど。
そんなわけで、母がいない間
私は朝早くから(返す予定の)畑に行って、処分した野菜くずや草を焼きに行った。
明日雨だというし、多少曇っていると肌寒くて近所の人も窓を閉めてもいいかと思って。
煙は近所迷惑で申し訳ないが、最後の片付けで量も多いから仕方がない。
(というか、うちも裏の畑の人に迷惑しているから田舎はお互い様)
まあ、結局はなかなか火がつかず、燃えた量もたいしたことがなく
煙をだして燻っていただけで残念だったけど。
でもまあ、柵代わりに組んでいた長い金属棒は処分に困っていたのを、近所の人に声をかけたら引き取ってくれたのでよかった!
ただ、母が朝効果が強い方の下痢止めの薬を飲んでいったか気にはなったんだけど。
でも、母は早くも昼の12時半過ぎに戻ってきたようだ。
お弁当は会場で事前に注文してあったものを持って帰ったようで、家で食べたらしい。
姉にも1つ弁当をもたせたとのこと。
その頃、私は畑から戻り、昨夜寝付けなかったので眠気のあまり横になっていたし
姉と顔を会わせたくなかったから、母たちが帰ってきた時に起きなかったんだけどね。
にしても、姉はホントにただでは家に来ない。
後で話を聞いたら、今回姉は娘の新居用に(母が昔仕立てた)良い布団をもっていったらしい。
まあ、母が許可したわけだし、別にいいけど。
多少家の中の空間が広がるなら、それもよし。
しかし、持っていく時は重い物でも一人で運ぶんだよな(ーー;)
きっと母が亡くなるまで、何かしら少しずつ家の物を持っていくだろうなあ。
絶対他のふとんも持っていきそうだよな。
でも、法事に使う座布団だけは持って行っては困る。
姉のことだから、またいずれ「貸して」と言いそうなのがイヤなんだけど。
だって母いはく、貸したら戻ってこない物も多々あるようだし。
だから近すぎてもイヤなんだよなあ。
どうせなら納屋にある粗大ゴミになる物ももっていってほしいわ。
まあ、それはさておき。
眠気をごまかしながら、動いていたんだけど
ちょうどいい塩梅に曇ってるし、田(休耕田)に行くにはちょうどいい天気。
とはいえ、除草剤を蒔くには明日は雨だからダメだとして。
そうだ、母が「ウドを採りに行きたい」と言っていたっけ。
いつもならこの時間「水戸黄門」の再放送を見ているけど、
休日だから放送してないし。今日は暑くないし・・・
そう思って、夕方母に声をかけた。
そしたら案の定、食いついた。
ただ、時期的にちょっと遅いかなと思ったけども。
そして田へ連れて行き、私はウドのある場所を教えてもらった。
てっきり田の畔に生えているのかと思ったら
田の中に母が以前植えたものだったようだ。
私は知らなかったから、今まで草と一緒に刈っていた可能性もあるなあ(^-^;
そもそも私自身ウドを食べないから、ウドの葉も知らないし。
で、「ここ」と言われたところには何本か確かに生えていた。
母の希望通り根本で切って母の足元に放り投げると、母が葉を手早く葉をとって処理していた。
さすが山菜のことになると、動きが違うと感心。
それしにても、なかなか草刈にも来れないのだけど
またセイタカアワダチソウがたくさん伸びてきていてウンザリする。
また草刈に来なくちゃ。
帰りにこれまた田に植えてある花を、母が「持って帰りたい」と言うので、それを切り。
ついでに最近母が行っていない(私が片付けをしている)畑を見に連れて行き
「この部分の片付けはどうするのか」とか細かな指示を仰いだ。
その時も周囲に咲いていた花を見て、母が「仏さんに供えたいから」と私に花を切らせる。
それはいいけど、私疲れてもう花を供える気力ないんだけど。
こないだ花を替えたのに。
あんたがしてくれたらいいんだけどねと言ったら渋々な母。
まあ、その代り仏壇からおろしたり運んだりするのは私になるだろうけどね。
で、帰ってきたら、なんと母がまた下痢。
聞いたら、今朝はやっぱり下痢止めの強い薬を朝飲まなかったんだって。
3日目だからと気にはなっていたようで。
でもまあ、まだそんなに便座ひどくも汚れてなかったから、その点はよし。
ただ、今回はゴロゴロがなく、いきなり下痢が出たのでびっくりしたらしい。
下痢は残念だったが
母はウドの準備をしてさっそく夕食に食べて満足していた。
それにしても、ウドってこんなに緑だっけ?・・・と思ったけど
そうか、巷で見かけるウドはなんかかぶせてあるから白いんだよなと気づいた。
全然ウドなんか食べないもんなあ・・・
あと母が好きなのはイタドリなんだけど、母いはく「もう時期が遅い」って。
そうかなあ・・・私はイタドリは夏だと思ったんだけど、違ったか?
っていうか、私が子供のころに通ってイタドリを齧った道は
もう両側舗装されていてイタドリはないんじゃないかと言ったんだけど
母は「いや、ある!」と見ていないのに断言するのがおかしい。
きっと車に乗っていたら通り過ぎてしまってるね。
食べさせてやりたいけど、もう時期が遅いんじゃなあ・・・
まあ、また気が向いたら運動がてら歩いてみようかとも思うけど。
ああ、そういえば、敷地内に作った小さい畑に
秋に蒔いた「つるなしさやえんどう」が実をつけたので収穫した。
ここの日記にも書いたけど、つるなしえんどうの種の時は母が癇癪を起こしたよなあ
と、まるで昔のように懐かしく思い出した。
きっと母は忘れているだろうけどね。
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2015/03/30 (Mon)
母は私が「しま〇ら」で買ってあげた、冬用の厚地のタイツ生地のレギンス(といっても、母にとっては、毛糸のステテコと同類)がお気に入りで、現在3本持っている。
そのステテコレギンスが、数日前から全部見あたらないと母が言いだした。
しかし、そんなはずはないだろう。
毎回洗濯物を干して取り込むのは私だし、取り込んだ物は母の部屋、それもベッドの上に畳んでおいておくのだから、「ない」というなら母がどこかへ移動させたに違いないのだ。
もしくは、こないだ姉が来た時に少し片づけを頼んだと言うから、その時に移動させたか、だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・と、ここで横道にそれるが
なぜ私が洗濯物を母の箪笥等に直接しまわないかというと、母が衣類をしまう場所を私が特定できていないからだ。
母は自分で衣類をしまっている・・・はずなのだが、箪笥やチェストに入りきらないものは、ダンボール箱とかごと大きなビニール袋に入れて積み上げている。
で、自分でもどこへしまったかわからなくなるらしい。
もっと衣装ケースがあれば・・・とは思うのだが、これ以上不要な物は増やしたくない。
なにせ、今母の衣類は5部屋に渡って散在している。
嫁いで60年以上も生きていれば服も自然と増えるだろうけど、母は昔旅行が好きだったこともあり、自分のお金でそのたびに買っていたという。
(母いはく、父の女問題があって、そっちがそっちなら、こっちも使わにゃ損という気持ちもあったらしい)
あとは、他の人からの貰い物が多かったようだ。
(伯母からだったり、姉のお姑さんの形見分けだったり)
なので、姉も「お母さんが死んだら、片付けが大変やで」と以前言っていた。
そんなわけで、一見母は衣装持ち・・・と言えるかもしれないが、実際着ている服は少なくて。
つまり古い服を処分していないから、服は増殖し続け、入りきらず部屋を侵食していく、というよくあるパターンだ。
おかげで、今やいろんな部屋に母の箪笥やチェストや衣装ケースが点在。
「貯金証書や印鑑がない」といえば、母はまずこの衣類の中にひそませているので
毎度かなりの労力をもって、探すはめになる。
(毎回隠し場所を変えるのだ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして話は戻るのだけど。
母はお気に入りのステテコレギンスがないと言いだして。
でも、私は「絶対に部屋の中にあるよ!」って言うんだけど
母が言うには「盗まれたんや」と。
まあ、ここでもよくある話だとは思うんだけどね。
「お前が盗んだ」とは言わないのは、まだいいのかもだけど。
母もそういうことを言うの初めてじゃないし。なので
「いや、盗まれたんと違うやろ。
そもそも、誰がそんなもん盗むんやな。
若い姉ちゃんのすら~っとしたレギンスならともかく
JJsサイズのお尻がでかくて股の大きいタイツなんて、わざわざ盗まへんやろ?」
って私は言うんだけど、
母は「いや、探しても出てこんもん。きっと盗まれたわ」って言う。
「盗まれへんって」
そう返す私だったが、とりあえず私が片手間に探した時も見つからなかった。
仕方がない、本腰を入れて探すしかないのか。
と、まず1番古くて汚い衣類箪笥のある場所へ踏み入った。
(ここも昔は親子で寝ていた場所だったが、いつのまにか物置になっていたとこ)
埃が積もり足の踏み場もないほど物が置いてあるので、気を付けないとつまずいてしまう。
とりあえず足場を作らないと奥にも進めないので、傍から取り掛かることにした。
と、その途中で、母が「そっちにハンガーない?」と言ってきたので
「ないよ」と言ったんだけど、
「なんで?」って聞いたら、「自分の洗濯物を中に干したいで」と言う。
「外に干せばいいじゃん」と言ったら、「盗まれるで」って。
だから、盗まれへん!!って(^-^;
そりゃ、こんな田舎でも昨今変な人が増えたみたいで
「不法投棄」とか「下着泥棒」とか、駐在所のお知らせにも書いてあったけど。
そりゃ、私の服は屋根のあるところに干していて、
母は汚すことが多いし、できれば晴れた日は紫外線で殺菌したいから外によく干すけども。
「誰がそんな婆の下着を盗むんやな。私の服でも盗まれやんのに」
「盗むとしたら、よほどの婆専やと思うけどねー」
って私は言うんだけど
母は頑として「いや盗まれたで。わしはそう思う!」と気張るんだよね。
その自信はどこから来るのか不思議だなあ。
そもそも、パンツを盗まずレギンスだけ盗む奴っておるんかいな。(タイツフェチ?)
とか思いながら、気分転換に別の場所を探すことにした。
そこは昨日も見たけど、1番ありそうな場所。
ここもダンボールと紙袋に服がつめられてあちこちあるんだよなあ。
それを1つ1つ中を確認していったら・・・あ、あった!
「あったよ!ほら2本とも。
ちゃんと畳んだまま入っていたよ!」
(だから、やっぱ袋に片づけていたんだよ)
「絶対盗まれた!」と言っていた母は、そう言ったことも忘れたように見つかったことだけを喜んでいたが、「あと1本まだ見つからん」とか言ってて。
でも、それって後で気づいたんだけど
あの時、母が干そうとした洗濯物の中に入っていたんだよねえ。
ハンガーにかかっていたんだけど、たぶん母も干す時に気づいたよな。
・・・・
さて、とりあえずレギンスも見つかったことだし、これで一件落着。
・・・と思いきや、私は途方にくれていた。
というのも、1番古くて汚い衣類部屋を片付け始めたら
あまりの量に収拾がつかなくなってしまって・・・(T_T)
廊下にもたくさん衣類を出してしまって、本当は通るのが邪魔なんだけど
疲れてしまって、もはや動けず。
幸い玄関からは見えない位置なので、仕方なくそのまま廊下に放置。
これからしばらくはボチボチここの片付けに時間を費やさなければならなくなった。ふう
とりあえず、そこを片付けて、それからまた別の部屋を片付けて・・・
捨てる物は捨てて、なんとか母の衣類が全部収納できるといいのだけど。
でもって、何が入っているか引き出しに書いておかないと。
ホントはもっと前からしたいとは思っていたんだけど
母が自分の物を触られるのを嫌がっていたし、私も他のことがあるからそこまで動けなかったしなあ。
ステテコレギンスのおかげで、なんだか仕事を増やしてしまった感じだけど
ある意味、母公認で、不要な物品を処分できるチャンスができたので
これ幸いと、(母が寝ている間に)ボカボカ捨てている。
そんなわけで、あっという間にゴミ袋がたくさん。
(再生ゴミ・もやせるゴミ・もやせないゴミに分別)
でも、ある程度は残しておかないと、後で「あれはどこへやった」と母が機嫌を損ねる可能性もあるので、捨てる加減が難しいね。
できれば、衣類の4分の1ぐらいは片づけたいけどなあ。
そのステテコレギンスが、数日前から全部見あたらないと母が言いだした。
しかし、そんなはずはないだろう。
毎回洗濯物を干して取り込むのは私だし、取り込んだ物は母の部屋、それもベッドの上に畳んでおいておくのだから、「ない」というなら母がどこかへ移動させたに違いないのだ。
もしくは、こないだ姉が来た時に少し片づけを頼んだと言うから、その時に移動させたか、だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・と、ここで横道にそれるが
なぜ私が洗濯物を母の箪笥等に直接しまわないかというと、母が衣類をしまう場所を私が特定できていないからだ。
母は自分で衣類をしまっている・・・はずなのだが、箪笥やチェストに入りきらないものは、ダンボール箱とかごと大きなビニール袋に入れて積み上げている。
で、自分でもどこへしまったかわからなくなるらしい。
もっと衣装ケースがあれば・・・とは思うのだが、これ以上不要な物は増やしたくない。
なにせ、今母の衣類は5部屋に渡って散在している。
嫁いで60年以上も生きていれば服も自然と増えるだろうけど、母は昔旅行が好きだったこともあり、自分のお金でそのたびに買っていたという。
(母いはく、父の女問題があって、そっちがそっちなら、こっちも使わにゃ損という気持ちもあったらしい)
あとは、他の人からの貰い物が多かったようだ。
(伯母からだったり、姉のお姑さんの形見分けだったり)
なので、姉も「お母さんが死んだら、片付けが大変やで」と以前言っていた。
そんなわけで、一見母は衣装持ち・・・と言えるかもしれないが、実際着ている服は少なくて。
つまり古い服を処分していないから、服は増殖し続け、入りきらず部屋を侵食していく、というよくあるパターンだ。
おかげで、今やいろんな部屋に母の箪笥やチェストや衣装ケースが点在。
「貯金証書や印鑑がない」といえば、母はまずこの衣類の中にひそませているので
毎度かなりの労力をもって、探すはめになる。
(毎回隠し場所を変えるのだ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして話は戻るのだけど。
母はお気に入りのステテコレギンスがないと言いだして。
でも、私は「絶対に部屋の中にあるよ!」って言うんだけど
母が言うには「盗まれたんや」と。
まあ、ここでもよくある話だとは思うんだけどね。
「お前が盗んだ」とは言わないのは、まだいいのかもだけど。
母もそういうことを言うの初めてじゃないし。なので
「いや、盗まれたんと違うやろ。
そもそも、誰がそんなもん盗むんやな。
若い姉ちゃんのすら~っとしたレギンスならともかく
JJsサイズのお尻がでかくて股の大きいタイツなんて、わざわざ盗まへんやろ?」
って私は言うんだけど、
母は「いや、探しても出てこんもん。きっと盗まれたわ」って言う。
「盗まれへんって」
そう返す私だったが、とりあえず私が片手間に探した時も見つからなかった。
仕方がない、本腰を入れて探すしかないのか。
と、まず1番古くて汚い衣類箪笥のある場所へ踏み入った。
(ここも昔は親子で寝ていた場所だったが、いつのまにか物置になっていたとこ)
埃が積もり足の踏み場もないほど物が置いてあるので、気を付けないとつまずいてしまう。
とりあえず足場を作らないと奥にも進めないので、傍から取り掛かることにした。
と、その途中で、母が「そっちにハンガーない?」と言ってきたので
「ないよ」と言ったんだけど、
「なんで?」って聞いたら、「自分の洗濯物を中に干したいで」と言う。
「外に干せばいいじゃん」と言ったら、「盗まれるで」って。
だから、盗まれへん!!って(^-^;
そりゃ、こんな田舎でも昨今変な人が増えたみたいで
「不法投棄」とか「下着泥棒」とか、駐在所のお知らせにも書いてあったけど。
そりゃ、私の服は屋根のあるところに干していて、
母は汚すことが多いし、できれば晴れた日は紫外線で殺菌したいから外によく干すけども。
「誰がそんな婆の下着を盗むんやな。私の服でも盗まれやんのに」
「盗むとしたら、よほどの婆専やと思うけどねー」
って私は言うんだけど
母は頑として「いや盗まれたで。わしはそう思う!」と気張るんだよね。
その自信はどこから来るのか不思議だなあ。
そもそも、パンツを盗まずレギンスだけ盗む奴っておるんかいな。(タイツフェチ?)
とか思いながら、気分転換に別の場所を探すことにした。
そこは昨日も見たけど、1番ありそうな場所。
ここもダンボールと紙袋に服がつめられてあちこちあるんだよなあ。
それを1つ1つ中を確認していったら・・・あ、あった!
「あったよ!ほら2本とも。
ちゃんと畳んだまま入っていたよ!」
(だから、やっぱ袋に片づけていたんだよ)
「絶対盗まれた!」と言っていた母は、そう言ったことも忘れたように見つかったことだけを喜んでいたが、「あと1本まだ見つからん」とか言ってて。
でも、それって後で気づいたんだけど
あの時、母が干そうとした洗濯物の中に入っていたんだよねえ。
ハンガーにかかっていたんだけど、たぶん母も干す時に気づいたよな。
・・・・
さて、とりあえずレギンスも見つかったことだし、これで一件落着。
・・・と思いきや、私は途方にくれていた。
というのも、1番古くて汚い衣類部屋を片付け始めたら
あまりの量に収拾がつかなくなってしまって・・・(T_T)
廊下にもたくさん衣類を出してしまって、本当は通るのが邪魔なんだけど
疲れてしまって、もはや動けず。
幸い玄関からは見えない位置なので、仕方なくそのまま廊下に放置。
これからしばらくはボチボチここの片付けに時間を費やさなければならなくなった。ふう
とりあえず、そこを片付けて、それからまた別の部屋を片付けて・・・
捨てる物は捨てて、なんとか母の衣類が全部収納できるといいのだけど。
でもって、何が入っているか引き出しに書いておかないと。
ホントはもっと前からしたいとは思っていたんだけど
母が自分の物を触られるのを嫌がっていたし、私も他のことがあるからそこまで動けなかったしなあ。
ステテコレギンスのおかげで、なんだか仕事を増やしてしまった感じだけど
ある意味、母公認で、不要な物品を処分できるチャンスができたので
これ幸いと、(母が寝ている間に)ボカボカ捨てている。
そんなわけで、あっという間にゴミ袋がたくさん。
(再生ゴミ・もやせるゴミ・もやせないゴミに分別)
でも、ある程度は残しておかないと、後で「あれはどこへやった」と母が機嫌を損ねる可能性もあるので、捨てる加減が難しいね。
できれば、衣類の4分の1ぐらいは片づけたいけどなあ。
2015/03/30 (Mon)
うちには所有している山林が2か所ある。
とはいえ「山林」と行っても、側面というか斜面だけの箇所があるだけで、父が生前中は下草や枝も刈っていたようだが、父亡き後放置。
場所も生前父に一度だけ教えてもらったはずなんだけど、いまいち記憶が定かでない。
っていうか、山の中って父がつけたらしい境の印を探すのが難しい。
3月2日には、1か所は母に同行してもらったんだけど
そこはまだ車が近くまで駐車できたから、そこまで母を乗せていったからいいとして
(それも印がいまいち・・・だけど、大体の範囲はわかった)
問題は、もう1か所のこと。
そこは近くまで車が入れず、その時母は拒否。
数年前に、母と山に行った姉さえも「(境を)覚えとるかなあ」という曖昧さだから、あてにならず。
仕方がないから3月2日には墓参りのついでに、一人でそこの山林に行き「まあ、大体ここらへんだろ」という見当をつけてはきたんだけど。
だって、よほどのことがない限り
こんなとこ誰も何も言って来ないよ。(金にもならん場所だし)
しかし母は母で、後のことを気にしていたらしく、今まで口にしたことがなかったのに、最近になって「木を切ってもらおうか」と言いだした。
私が「境がわかりにくい」と言っていたこともあるだろうが
どうも、両親が昔わざわざ山を買って、木を植えた場所らしいんだな。
かれこれ60年前と言うから、嫁いでまもない頃だったのかも。
今はさっぱり価値はないけど、大昔は「山は財産の1つ」だったらしいからねえ。
自分ちの山の木を使って、家も建てていたし。
ゴルフ場が出来て、それで山を売って大金が入った家も何軒かあったけど
うちの場所ははずれているので、貧乏のまま(ーー;)
ちなみに、うちの住む地区って自治会費を払ってないんだよね。
今まで気にもしていなかったけど、父亡き後ふと「あれ?」とか思って
母に尋ねてもはっきりしない。
でも、昨年から地区の総会に出席してわかったことがある。
地元はゴルフ場等山の賃貸料があったから、長年収入があるみたいで
自治会費も徴収されないみたいだった。
だから、新しく入居してきた家だけが、会費を払っているようだ。
(あれ?だとすれば、ゴルフ場がつぶれたらやばい??)
それはともかく、突然母が「山の木を切ったらどうやろ」と言いだして。
親戚の大工に尋ねてみようとしたが、なかなか電話がつながらないらしく
焦った母は「直接製材に行って聞いてくるわ」と言いだし
また私の予定が増えた。(私の都合は考えない)
で、母を車に乗せて製材所に行ってみると
残念ながら、社長さんは不在で、奥さんが電話で連絡してくれたんだけど
詳しい話はまた家にきてもらうということで、帰ることになった。
「じゃあ、家で待っていればいいよね」
と言っていたのに、車に乗り込んだところで母が
「今日は天気がいいから、このままその山へ行ってみよか」
と、これまた急に言い出すので「ええ?!」
行くのはいいけど、普段着のままなんだよなあ・・・
母の折り畳みシルバーカーも持ってきてないのに
と思いつつ、母は言い出したら聞かないし、
機会を逃せばまたいつ行けるかわからないので、母を連れて行くことになったのだけど。
まあ、場所的には近い。何せ徒歩で行けるお墓に近いから。
しかし、問題は近くで車を駐車できないこと、と母があまり歩けないことだ。
行く方法はいずれも徒歩で、
一方は下の田の畔(あぜ)からのぼって行く方法。
もう1つはお墓の小道(幅が狭いが、一応市道)を上までのぼって、てっぺんから行く方法。
しかし、お墓の道の上り坂は急でとても母の足ではのぼれない。
仕方がないので、お墓のところに車を停めて歩くことにした。
母にとっても数年ぶりだし、その頃はまだ足が達者だったので山林にも入れたのだけど、今はそうではないから心配で、「ここで待ってるか」と聞いてみたが、母は「行く」と言う。
そして、そこから(私にとってみればたいした距離ではないけど)母にとっては遠い距離を、母は杖と、私の手を支えに歩くことに。
本当は、田には川に沿って農道があるのだけど、直線では走れても
困るのが帰る時の橋を渡る時なのだ。
道幅も狭いが橋幅も狭くて、曲がり角が90度なので、かなりその道に慣れた者でないと大変なことになる。
事実、運転がへたっぴな私は以前脱輪してJAFを呼んだ(T_T)
まだ脱輪ならいいほうで、ひどい場合は川へ落ちてしまう危険もある。
まあ、そんなわけで、仕方ないとは思いつつ、母を連れて行ったのだけど。
農道はともかく田の畦は狭いので、母の手をつないで横に歩くには、ちと辛い。
「こっから、前に歩くで。このままやと田のほうに落ちてしまうし」って言ったら
「わしは落ちたらあかんけど、お前は落ちてもええで、ええやないか」って。
全く・・・(^-^;
とはいうものの、山の下まで来たら、「お前だけ上って行け」というので、手を放し、私は溝を渡って山林に入った。
そうして、母は下から指示を出すのはいいけれど、
「あそこに、普通の木と杉の木があるやろ。あのへんや」とか
「そこに崖があるやろ?道みたいな場所があらへんか。ない?よう見つけやんのか、情けないのう!あるやろ!」とか、いつもながらアバウトな教え方で私は右往左往。
結局は、まあ、なんとか父がつけた境界用杭は何本か見つけたのだけど、そりゃ見つけにくいわ、何せ何も目印がないんだもん。
落ち葉に埋もれているし、特に下の方はわからない。
・・・にしても、「山に入るなら汚れてもいい服とか靴を履いてきたんだけどなあ・・・」とボヤいても、母は「仕方ないやろ、急に思いついたんやで」と悪びれることもなく。
さらに、また帰り道が大変で。
行きと同じく、母の手を握って一緒に戻ってきたのだけど
母が疲れたみたいで、もうあとちょっとというところの橋の前で
「そこまで車でこれやんか。渡れるやろ」とか言い出して。
まあ、前のことがあるから、今度はもっと慎重にいけるとは思うけど
でも、内心気がすすまなかったが仕方がない。
私だけ先に車に戻って、橋のところまで来たのはいいが、やはりそう簡単には曲がれず。
車を運転したことのない母は、周囲から「いけるいける」と簡単に言うが、前はよくても後ろのタイヤが危ないし、何よりこのままいったら、確実に車の側面がすれてしまう。
一旦下がったが、さてどうしよう。
バックするにしても、後ろもカーブでガードレールがないから、下手すれば川に落ちてしまう。
ああ、だからこんなところは車で入りたくなかったんだよなあ・・・と後悔しても後の祭り。
こんなところで立ち往生していてもらちがあかないので、なんとか頑張ることにした。
フーフーと息を吐きつつ、何度も切り返して。(6回以上したかな)
なんとか切り抜けられて橋が渡れてホッ!
他の車が来なくてホントによかった!!
そこでようやく母を乗せられたんだけど
「もう2度とここは車で通らない」と固く誓った。
そして家に帰って一息ついた頃、お昼ご飯を食べる間もなく
先ほど寄った製材所の社長であるおじさんがやってきて、話をすることに。
おじさん曰はく「木切っても使わんのやろ。今は木も売れんし金にならへん。
土地が欲しい人がおったら勝手に調べて言ってくるで放っといてもええんちゃうか。
何より、切るのはいくらでも切るけど、車で入れやんとこでは運び出すのも難儀やで」と気が進まないようだったので、私も「それもそうだよな」と思った。
1本1本足で道まで運ばないといけないわけだし、その道も大きなトラックは通れないし。切り賃に加えて運搬賃が高くなりそう。
木を使うにしたって母もリフォームはしたいけど、資金がないし。
(そもそも母が言わなければ、私も放っておいたね)
ってことで、「まあ、一応場所は見ておくけどな」とおじさんは帰っていき
母も納得したようだった。
たぶん、母は誰かに相談したかっただけなんだと思う。
・・・で、母はその後寝ていたし、私は私でやることやっていたし。
私への用事は落ち着いたと思ったんだけど。
夕方になって、母が「ちょっとえらいで、医者に連れて行ってくれやん?」と言いだした。
やはり、歩いたのがだいぶ疲れたらしい。
母いはく、「前みたいに夜中に救急車を呼ばなあかんようになっては困るから」と。
よほど救急車を呼ばれたくないようだ。
確かに、また急にアップアップされると大変だし、それなら今行った方がいい。
と、いつもの病院に連れて行くことにした。
朝、リハビリに行った病院なんだけどね。
たまにこうして同じ日に、点滴に連れていくことがあるんだよなあ。
だから、毎回母の知り合いのリハビリの人が、待合室で待っている私をめざとく見つけて「〇〇さん、また悪いの?」って声をかけてきて。
「いや、山というか、田の畔を歩いてて」「こけたん?」
「いや、こけてはいないけど、えらいと言うんで」「ああ、点滴打ちに来たんか」
「そう」(毎度のことながら)
でも、やっぱ血圧すごく高かったしなあ・・・
母が「行く」と言ったから連れて行ったけど、年なんだから無理しちゃダメだよなあ
てか、リアカーみたいな奴に母を乗せてひっぱっていけばよかったんだけど。
(車いすではあのガタガタ道は無理)
さすがに、うちでもリアカーはもうないなあ。
で、1時間後、点滴を打った母は復活\(^o^)/
少し安堵した。
・・・・・・・・・・・
そして、その夜の母との会話
「お前も今日はえらかったやろ。山歩いたし」
「いや、山を歩くのはえらなかったけど、あの帰りの車でどっと疲れたわ」
「せやけど、お前はえらいなあ。あんなとこさっさかさっさかのぼってくで。
それに、ようあそこから降りたな。はよ戻って来たでびっくりしたわ」
「ああ、あそこの溝な。怖かったけど、飛び越えたわ。
あそこは横に進めないし、また上にあがって、横に移動して降りてこなあかんのも面倒だったし」
とそこまで私が言ったら、母は
「そやけどさ、あそこマムシがおんのにさ」(マムシがいるのに)
って言うんで、ギョッ!
「はあ!?なにそれ!
知っていたら、ちゃんと前もって長靴とか履いて重装備して行ったのに。
そんなこと(山に)行ってから、今言わんといてよ!」
って私が抗議したら、母はのほほんと
「そやで、あの時言わんだんや」って。
はあ~・・・ホントに口だけは達者なんだよなあ。
とはいえ「山林」と行っても、側面というか斜面だけの箇所があるだけで、父が生前中は下草や枝も刈っていたようだが、父亡き後放置。
場所も生前父に一度だけ教えてもらったはずなんだけど、いまいち記憶が定かでない。
っていうか、山の中って父がつけたらしい境の印を探すのが難しい。
3月2日には、1か所は母に同行してもらったんだけど
そこはまだ車が近くまで駐車できたから、そこまで母を乗せていったからいいとして
(それも印がいまいち・・・だけど、大体の範囲はわかった)
問題は、もう1か所のこと。
そこは近くまで車が入れず、その時母は拒否。
数年前に、母と山に行った姉さえも「(境を)覚えとるかなあ」という曖昧さだから、あてにならず。
仕方がないから3月2日には墓参りのついでに、一人でそこの山林に行き「まあ、大体ここらへんだろ」という見当をつけてはきたんだけど。
だって、よほどのことがない限り
こんなとこ誰も何も言って来ないよ。(金にもならん場所だし)
しかし母は母で、後のことを気にしていたらしく、今まで口にしたことがなかったのに、最近になって「木を切ってもらおうか」と言いだした。
私が「境がわかりにくい」と言っていたこともあるだろうが
どうも、両親が昔わざわざ山を買って、木を植えた場所らしいんだな。
かれこれ60年前と言うから、嫁いでまもない頃だったのかも。
今はさっぱり価値はないけど、大昔は「山は財産の1つ」だったらしいからねえ。
自分ちの山の木を使って、家も建てていたし。
ゴルフ場が出来て、それで山を売って大金が入った家も何軒かあったけど
うちの場所ははずれているので、貧乏のまま(ーー;)
ちなみに、うちの住む地区って自治会費を払ってないんだよね。
今まで気にもしていなかったけど、父亡き後ふと「あれ?」とか思って
母に尋ねてもはっきりしない。
でも、昨年から地区の総会に出席してわかったことがある。
地元はゴルフ場等山の賃貸料があったから、長年収入があるみたいで
自治会費も徴収されないみたいだった。
だから、新しく入居してきた家だけが、会費を払っているようだ。
(あれ?だとすれば、ゴルフ場がつぶれたらやばい??)
それはともかく、突然母が「山の木を切ったらどうやろ」と言いだして。
親戚の大工に尋ねてみようとしたが、なかなか電話がつながらないらしく
焦った母は「直接製材に行って聞いてくるわ」と言いだし
また私の予定が増えた。(私の都合は考えない)
で、母を車に乗せて製材所に行ってみると
残念ながら、社長さんは不在で、奥さんが電話で連絡してくれたんだけど
詳しい話はまた家にきてもらうということで、帰ることになった。
「じゃあ、家で待っていればいいよね」
と言っていたのに、車に乗り込んだところで母が
「今日は天気がいいから、このままその山へ行ってみよか」
と、これまた急に言い出すので「ええ?!」
行くのはいいけど、普段着のままなんだよなあ・・・
母の折り畳みシルバーカーも持ってきてないのに
と思いつつ、母は言い出したら聞かないし、
機会を逃せばまたいつ行けるかわからないので、母を連れて行くことになったのだけど。
まあ、場所的には近い。何せ徒歩で行けるお墓に近いから。
しかし、問題は近くで車を駐車できないこと、と母があまり歩けないことだ。
行く方法はいずれも徒歩で、
一方は下の田の畔(あぜ)からのぼって行く方法。
もう1つはお墓の小道(幅が狭いが、一応市道)を上までのぼって、てっぺんから行く方法。
しかし、お墓の道の上り坂は急でとても母の足ではのぼれない。
仕方がないので、お墓のところに車を停めて歩くことにした。
母にとっても数年ぶりだし、その頃はまだ足が達者だったので山林にも入れたのだけど、今はそうではないから心配で、「ここで待ってるか」と聞いてみたが、母は「行く」と言う。
そして、そこから(私にとってみればたいした距離ではないけど)母にとっては遠い距離を、母は杖と、私の手を支えに歩くことに。
本当は、田には川に沿って農道があるのだけど、直線では走れても
困るのが帰る時の橋を渡る時なのだ。
道幅も狭いが橋幅も狭くて、曲がり角が90度なので、かなりその道に慣れた者でないと大変なことになる。
事実、運転がへたっぴな私は以前脱輪してJAFを呼んだ(T_T)
まだ脱輪ならいいほうで、ひどい場合は川へ落ちてしまう危険もある。
まあ、そんなわけで、仕方ないとは思いつつ、母を連れて行ったのだけど。
農道はともかく田の畦は狭いので、母の手をつないで横に歩くには、ちと辛い。
「こっから、前に歩くで。このままやと田のほうに落ちてしまうし」って言ったら
「わしは落ちたらあかんけど、お前は落ちてもええで、ええやないか」って。
全く・・・(^-^;
とはいうものの、山の下まで来たら、「お前だけ上って行け」というので、手を放し、私は溝を渡って山林に入った。
そうして、母は下から指示を出すのはいいけれど、
「あそこに、普通の木と杉の木があるやろ。あのへんや」とか
「そこに崖があるやろ?道みたいな場所があらへんか。ない?よう見つけやんのか、情けないのう!あるやろ!」とか、いつもながらアバウトな教え方で私は右往左往。
結局は、まあ、なんとか父がつけた境界用杭は何本か見つけたのだけど、そりゃ見つけにくいわ、何せ何も目印がないんだもん。
落ち葉に埋もれているし、特に下の方はわからない。
・・・にしても、「山に入るなら汚れてもいい服とか靴を履いてきたんだけどなあ・・・」とボヤいても、母は「仕方ないやろ、急に思いついたんやで」と悪びれることもなく。
さらに、また帰り道が大変で。
行きと同じく、母の手を握って一緒に戻ってきたのだけど
母が疲れたみたいで、もうあとちょっとというところの橋の前で
「そこまで車でこれやんか。渡れるやろ」とか言い出して。
まあ、前のことがあるから、今度はもっと慎重にいけるとは思うけど
でも、内心気がすすまなかったが仕方がない。
私だけ先に車に戻って、橋のところまで来たのはいいが、やはりそう簡単には曲がれず。
車を運転したことのない母は、周囲から「いけるいける」と簡単に言うが、前はよくても後ろのタイヤが危ないし、何よりこのままいったら、確実に車の側面がすれてしまう。
一旦下がったが、さてどうしよう。
バックするにしても、後ろもカーブでガードレールがないから、下手すれば川に落ちてしまう。
ああ、だからこんなところは車で入りたくなかったんだよなあ・・・と後悔しても後の祭り。
こんなところで立ち往生していてもらちがあかないので、なんとか頑張ることにした。
フーフーと息を吐きつつ、何度も切り返して。(6回以上したかな)
なんとか切り抜けられて橋が渡れてホッ!
他の車が来なくてホントによかった!!
そこでようやく母を乗せられたんだけど
「もう2度とここは車で通らない」と固く誓った。
そして家に帰って一息ついた頃、お昼ご飯を食べる間もなく
先ほど寄った製材所の社長であるおじさんがやってきて、話をすることに。
おじさん曰はく「木切っても使わんのやろ。今は木も売れんし金にならへん。
土地が欲しい人がおったら勝手に調べて言ってくるで放っといてもええんちゃうか。
何より、切るのはいくらでも切るけど、車で入れやんとこでは運び出すのも難儀やで」と気が進まないようだったので、私も「それもそうだよな」と思った。
1本1本足で道まで運ばないといけないわけだし、その道も大きなトラックは通れないし。切り賃に加えて運搬賃が高くなりそう。
木を使うにしたって母もリフォームはしたいけど、資金がないし。
(そもそも母が言わなければ、私も放っておいたね)
ってことで、「まあ、一応場所は見ておくけどな」とおじさんは帰っていき
母も納得したようだった。
たぶん、母は誰かに相談したかっただけなんだと思う。
・・・で、母はその後寝ていたし、私は私でやることやっていたし。
私への用事は落ち着いたと思ったんだけど。
夕方になって、母が「ちょっとえらいで、医者に連れて行ってくれやん?」と言いだした。
やはり、歩いたのがだいぶ疲れたらしい。
母いはく、「前みたいに夜中に救急車を呼ばなあかんようになっては困るから」と。
よほど救急車を呼ばれたくないようだ。
確かに、また急にアップアップされると大変だし、それなら今行った方がいい。
と、いつもの病院に連れて行くことにした。
朝、リハビリに行った病院なんだけどね。
たまにこうして同じ日に、点滴に連れていくことがあるんだよなあ。
だから、毎回母の知り合いのリハビリの人が、待合室で待っている私をめざとく見つけて「〇〇さん、また悪いの?」って声をかけてきて。
「いや、山というか、田の畔を歩いてて」「こけたん?」
「いや、こけてはいないけど、えらいと言うんで」「ああ、点滴打ちに来たんか」
「そう」(毎度のことながら)
でも、やっぱ血圧すごく高かったしなあ・・・
母が「行く」と言ったから連れて行ったけど、年なんだから無理しちゃダメだよなあ
てか、リアカーみたいな奴に母を乗せてひっぱっていけばよかったんだけど。
(車いすではあのガタガタ道は無理)
さすがに、うちでもリアカーはもうないなあ。
で、1時間後、点滴を打った母は復活\(^o^)/
少し安堵した。
・・・・・・・・・・・
そして、その夜の母との会話
「お前も今日はえらかったやろ。山歩いたし」
「いや、山を歩くのはえらなかったけど、あの帰りの車でどっと疲れたわ」
「せやけど、お前はえらいなあ。あんなとこさっさかさっさかのぼってくで。
それに、ようあそこから降りたな。はよ戻って来たでびっくりしたわ」
「ああ、あそこの溝な。怖かったけど、飛び越えたわ。
あそこは横に進めないし、また上にあがって、横に移動して降りてこなあかんのも面倒だったし」
とそこまで私が言ったら、母は
「そやけどさ、あそこマムシがおんのにさ」(マムシがいるのに)
って言うんで、ギョッ!
「はあ!?なにそれ!
知っていたら、ちゃんと前もって長靴とか履いて重装備して行ったのに。
そんなこと(山に)行ってから、今言わんといてよ!」
って私が抗議したら、母はのほほんと
「そやで、あの時言わんだんや」って。
はあ~・・・ホントに口だけは達者なんだよなあ。
2014/12/07 (Sun)
いつも私が母の衣類を洗濯しているが
今回私の手を煩わしてはと思ってか、
昨日母が自分で洗濯機のスイッチを入れ衣類を洗おうとしたらしい。
そうしたら、洗濯機が止まって干す段階になって、母が私を呼びに来て
「何かネバついている」「ちゃんと脱水されていない」と言う。
見たら紙とゼリー状のものがちらばっていて、ベタベタでひどい有様になっていた。
どうも母が尿パッドに気づかず、洗濯機に入れてしまったらしい。
尿パッドを洗濯してしまったのは初めてで、紙はともかく、この散らばるゼリー状の始末になんとしたものかと。
特に、洗濯機に付着したゼリー状のものは、どうやったら1番効果的に掃除できるのか。
特に下の回転するところに、ゼリーがたまっていそうな気がする。
手が届く部分はふき取ったが、奥の隙間が気になって。
つまらないといいが。
洗濯機の保証期間内(あと3か月)はあるが、どうしたものか。
あと、紙とゼリー状のものでドロドロになった衣類の1番効果的な洗浄方法も知りたい。
母は(母は忙しい人で私が洗濯するのを待てず)急いで服を洗濯したかったと言うが
こんな状態ではコインランドリーも使用できない。
そんなわけで、検索はしたものの
あまりい記事がヒットせず、介護サイトで質問してみたら解決。
いただいた回答で、ゼリー状のものが洗濯機の故障につながらないとわかり、ホッと安心。
参考させてもらい、塩も入れてた。
実際、コップにいれて実験したわけではないので、ホントにゼリー状が溶けているのか不明だが(余裕があったらしたかったけどねえ)
紙おむつでもこういうケースは多いらしいなあ。
・・・・・・
とりあえず回答を見たのが翌朝で、幸い雨も降っていなかったので
最初は、マシな衣類は外でブンブン振り回して落とした。
しかし、手やハンガー(すでに母がかけていた)のほか、自分の着衣にゼリーがひっつくのが難。
ブラシがあれば使いたかったが、洗濯物に使用するような適当なものがなく。
検索先の記事で、「粘着テープでも」と書いてあったのでテープを持ってきたが、あまり効果はなかった。というか、あまりひっつかなくて、ゼリーがつぶれてしまうというか。(糊状になってしまう)
で、とんでもなくひどい状態のべたべた衣類は、お風呂の残り湯で、手洗いというか何度もすすいだ。(ここでも少し塩をいれてみた)
それから再度、塩を入れた洗濯機に放り込み、いつものようにスイッチオン。
なんとかマシになった。
あ~よかった。
下着のほかデイで使ったバスタオルとかフェイスタオルとか上着とズボンとか、まあ母の物だけだったんで、それはいいとして。
干し終わって、母に「洗濯し直しておいたでな~」って言ったら
「悪かったなあ、えらい仕事増やしてもうて」と言うんで
「いーよ、いーよ。まあ、(次同じことがあったら)こういう風にしたらええんやってこと覚えたし」
って言ったら、母いはく
「そやな、ええこともあるよな」って。
ん?ええこと??
(自分で言うんかい)
・・・・・
ちなみに、外で衣類を振り回していた時
寒かったので(晴れていたけど雪雲が伸びてきた)外仕事用の軍手をはめていたのだが、途中ではずしたあと、どこへやったかわからなくなって。
もしかして、一緒に洗濯してしまったかなあと思ったら、やっぱり。
今回の洗濯でたまたま貰い物の「アロマリッチの柔軟剤」を開封して使ったんだけど
おかげで「アロマが香る軍手」ができあがった。
今回私の手を煩わしてはと思ってか、
昨日母が自分で洗濯機のスイッチを入れ衣類を洗おうとしたらしい。
そうしたら、洗濯機が止まって干す段階になって、母が私を呼びに来て
「何かネバついている」「ちゃんと脱水されていない」と言う。
見たら紙とゼリー状のものがちらばっていて、ベタベタでひどい有様になっていた。
どうも母が尿パッドに気づかず、洗濯機に入れてしまったらしい。
尿パッドを洗濯してしまったのは初めてで、紙はともかく、この散らばるゼリー状の始末になんとしたものかと。
特に、洗濯機に付着したゼリー状のものは、どうやったら1番効果的に掃除できるのか。
特に下の回転するところに、ゼリーがたまっていそうな気がする。
手が届く部分はふき取ったが、奥の隙間が気になって。
つまらないといいが。
洗濯機の保証期間内(あと3か月)はあるが、どうしたものか。
あと、紙とゼリー状のものでドロドロになった衣類の1番効果的な洗浄方法も知りたい。
母は(母は忙しい人で私が洗濯するのを待てず)急いで服を洗濯したかったと言うが
こんな状態ではコインランドリーも使用できない。
そんなわけで、検索はしたものの
あまりい記事がヒットせず、介護サイトで質問してみたら解決。
いただいた回答で、ゼリー状のものが洗濯機の故障につながらないとわかり、ホッと安心。
参考させてもらい、塩も入れてた。
実際、コップにいれて実験したわけではないので、ホントにゼリー状が溶けているのか不明だが(余裕があったらしたかったけどねえ)
紙おむつでもこういうケースは多いらしいなあ。
・・・・・・
とりあえず回答を見たのが翌朝で、幸い雨も降っていなかったので
最初は、マシな衣類は外でブンブン振り回して落とした。
しかし、手やハンガー(すでに母がかけていた)のほか、自分の着衣にゼリーがひっつくのが難。
ブラシがあれば使いたかったが、洗濯物に使用するような適当なものがなく。
検索先の記事で、「粘着テープでも」と書いてあったのでテープを持ってきたが、あまり効果はなかった。というか、あまりひっつかなくて、ゼリーがつぶれてしまうというか。(糊状になってしまう)
で、とんでもなくひどい状態のべたべた衣類は、お風呂の残り湯で、手洗いというか何度もすすいだ。(ここでも少し塩をいれてみた)
それから再度、塩を入れた洗濯機に放り込み、いつものようにスイッチオン。
なんとかマシになった。
あ~よかった。
下着のほかデイで使ったバスタオルとかフェイスタオルとか上着とズボンとか、まあ母の物だけだったんで、それはいいとして。
干し終わって、母に「洗濯し直しておいたでな~」って言ったら
「悪かったなあ、えらい仕事増やしてもうて」と言うんで
「いーよ、いーよ。まあ、(次同じことがあったら)こういう風にしたらええんやってこと覚えたし」
って言ったら、母いはく
「そやな、ええこともあるよな」って。
ん?ええこと??
(自分で言うんかい)
・・・・・
ちなみに、外で衣類を振り回していた時
寒かったので(晴れていたけど雪雲が伸びてきた)外仕事用の軍手をはめていたのだが、途中ではずしたあと、どこへやったかわからなくなって。
もしかして、一緒に洗濯してしまったかなあと思ったら、やっぱり。
今回の洗濯でたまたま貰い物の「アロマリッチの柔軟剤」を開封して使ったんだけど
おかげで「アロマが香る軍手」ができあがった。
2014/10/15 (Wed)
台風19号の時に
ニュースで何人かが、「風にあおられ転倒した」ことを聞いた。
それを聞くと、「またか」と思う。
脚立にのぼって作業をしている人とか
台風の様子が気になって外へ見に行った人とか
植木鉢が気になって・・・とか
なんで台風の時に外に出るのかなあと思うけども
それは母にも同じようなことが言えた。
母の場合は、台風の時ではなく
台風が去った後だ。
そんな台風が去っても、風の吹き返しはあるし
地面もぬかるんでいたり、滑りやすくなっているのだから
いくら畑が気になっても
そんなに早く畑に行くことはないのだ。
それなのに、近所に住む(母からみて)姪にブロッコリーの苗をわけるからと
声をかけて、今日の午後畑へ出かけてしまった。
そして畑から帰って来た時は何も言わず。
私が夕方買い物に出かけて、帰ってきた夜7時になってから
「こけてお尻が痛い」と言いだす。
話を聞いたら、姪と畑で別れて、自分も帰ろうとしたときに
すべってひっくりかえってお尻を打ったらしい。
それを聞いてため息が出た。
またか~~~
昨年と全く一緒じゃないか。
昨年も台風中と後に2回転倒してさ
2回目は畑でひっくりかえって、そして1か月後激痛で病院に行ったら圧迫骨折で1か月の安静。
それで余計に足腰弱くなったし、物忘れが増えたのに。
今テリボン注射打ってて、なんで同じ間違いをおかすのか。
学習しない人だなあ。
まあ、それが老いるということかもしれないが。
全く、これでまた骨折していたら大変なことだ。
前のこともあるから時差でなるかもしれないし。
しかも、畑から帰ってきた時は何も言わなかったのに。
「言わなかっただけ、痛いのは同じ」とか言う始末。
なんで言わないんだっつーの。
あとで、いきなり言われる方が心臓に悪いわ。
とりあえず、今はそれほど痛くはないと。
(でも、前のこともあるし)
ただ、御尻に肉がなくて、クッションがないので
ベッドで寝ていても、お尻が物に当たると痛いと言うので
今日自分で咳の薬をもらってきたのに、とは思ったけど
以前私が整形外科でもらった痛み止めのロキソニンを飲むというので飲ませた。
そんで、もし明日の朝痛みがひどかったら整形外科に連れて行く予定。
木曜日だけど、総合病院ならOKだし。
しかし、なんでよりによってデイの前日に転倒するかなあ
これでまた休むことになったら、ちっともサービスを受けたことにならないよ。
とりあえず、骨が折れていませんように。
(まあ、あとでじわじわ折れるのが圧迫骨折だけども)
ニュースで何人かが、「風にあおられ転倒した」ことを聞いた。
それを聞くと、「またか」と思う。
脚立にのぼって作業をしている人とか
台風の様子が気になって外へ見に行った人とか
植木鉢が気になって・・・とか
なんで台風の時に外に出るのかなあと思うけども
それは母にも同じようなことが言えた。
母の場合は、台風の時ではなく
台風が去った後だ。
そんな台風が去っても、風の吹き返しはあるし
地面もぬかるんでいたり、滑りやすくなっているのだから
いくら畑が気になっても
そんなに早く畑に行くことはないのだ。
それなのに、近所に住む(母からみて)姪にブロッコリーの苗をわけるからと
声をかけて、今日の午後畑へ出かけてしまった。
そして畑から帰って来た時は何も言わず。
私が夕方買い物に出かけて、帰ってきた夜7時になってから
「こけてお尻が痛い」と言いだす。
話を聞いたら、姪と畑で別れて、自分も帰ろうとしたときに
すべってひっくりかえってお尻を打ったらしい。
それを聞いてため息が出た。
またか~~~
昨年と全く一緒じゃないか。
昨年も台風中と後に2回転倒してさ
2回目は畑でひっくりかえって、そして1か月後激痛で病院に行ったら圧迫骨折で1か月の安静。
それで余計に足腰弱くなったし、物忘れが増えたのに。
今テリボン注射打ってて、なんで同じ間違いをおかすのか。
学習しない人だなあ。
まあ、それが老いるということかもしれないが。
全く、これでまた骨折していたら大変なことだ。
前のこともあるから時差でなるかもしれないし。
しかも、畑から帰ってきた時は何も言わなかったのに。
「言わなかっただけ、痛いのは同じ」とか言う始末。
なんで言わないんだっつーの。
あとで、いきなり言われる方が心臓に悪いわ。
とりあえず、今はそれほど痛くはないと。
(でも、前のこともあるし)
ただ、御尻に肉がなくて、クッションがないので
ベッドで寝ていても、お尻が物に当たると痛いと言うので
今日自分で咳の薬をもらってきたのに、とは思ったけど
以前私が整形外科でもらった痛み止めのロキソニンを飲むというので飲ませた。
そんで、もし明日の朝痛みがひどかったら整形外科に連れて行く予定。
木曜日だけど、総合病院ならOKだし。
しかし、なんでよりによってデイの前日に転倒するかなあ
これでまた休むことになったら、ちっともサービスを受けたことにならないよ。
とりあえず、骨が折れていませんように。
(まあ、あとでじわじわ折れるのが圧迫骨折だけども)
2014/10/14 (Tue)
今日の夕方
家の小さな畑の豆の葉をちぎっていて
途中で家の前で母が出てきて畑に行こうとしたみたいだけれど
「寒そうやなあ」と言うので
「うん、外は寒いよ。それに風が強いし」と言ったら
「じゃあ、今日はやめとくか」と言った後で、
「お前も寒いで、早く帰って来いよ」と母が声をかけた。
私はその後も豆の葉をちぎっていたのだけど
こうやって、なんでもない1日がすごく切なくて
母がいて、声をかけてくれることが幸せで
泣けてきた
あと、どれぐらい一緒にいられるんだろうか
あと、どれぐらいこんな会話ができるんだろうか
父の亡くなる前の一緒にした散歩の時も思ったけど
(あの時は、もう父の命が残り少ないことはわかってはいたけれど
それでもあと数年かと思っていたら、2か月ほどで亡くなってしまった)
母はまだそこまでには至らないけど
いつそうなってもおかしくない年と体調で
こんな貴重で幸福な時間があるだろうかと
思うと、豆の葉をとりながら泣けてきた
だから、母が「やっかいかけるなあ」と言って
「そんなことないよ、お母さんがそこにいるだけで幸せだから」
そう口にしていた。
父の時も、亡くなる前に病室で言ったな
「お父さんのそばにいたいから
毎日来てるんだよ」
二人とも亡くなってしまったら
私はどうなってしまうんだろう
家の小さな畑の豆の葉をちぎっていて
途中で家の前で母が出てきて畑に行こうとしたみたいだけれど
「寒そうやなあ」と言うので
「うん、外は寒いよ。それに風が強いし」と言ったら
「じゃあ、今日はやめとくか」と言った後で、
「お前も寒いで、早く帰って来いよ」と母が声をかけた。
私はその後も豆の葉をちぎっていたのだけど
こうやって、なんでもない1日がすごく切なくて
母がいて、声をかけてくれることが幸せで
泣けてきた
あと、どれぐらい一緒にいられるんだろうか
あと、どれぐらいこんな会話ができるんだろうか
父の亡くなる前の一緒にした散歩の時も思ったけど
(あの時は、もう父の命が残り少ないことはわかってはいたけれど
それでもあと数年かと思っていたら、2か月ほどで亡くなってしまった)
母はまだそこまでには至らないけど
いつそうなってもおかしくない年と体調で
こんな貴重で幸福な時間があるだろうかと
思うと、豆の葉をとりながら泣けてきた
だから、母が「やっかいかけるなあ」と言って
「そんなことないよ、お母さんがそこにいるだけで幸せだから」
そう口にしていた。
父の時も、亡くなる前に病室で言ったな
「お父さんのそばにいたいから
毎日来てるんだよ」
二人とも亡くなってしまったら
私はどうなってしまうんだろう