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2012/06/26 (Tue)
(6月1日に、5月26日のことを回想した記事)
葬儀が終わった次の日には
少しはホッとできるかと思ったのですが
甘かったようです。
お通夜と葬儀は式場を借りたのですが
出席できず自宅へ香典を持ってきて下さった近所の方も大変多く
父が亡くなってすぐに翌日通夜と葬儀だったため
その場でお礼を渡すことが出来ず
そのため葬儀が終わってから会葬御礼の粗品を配るはめになったのです。
(地元の取り決めで、香典の金額は少なめにして「返し」はなしということになってますが、粗品だけは渡さないといけないので)
ところが、私は実家に住んではいますが
外に勤めていたため田舎の付き合いが全くなく
地図を見ないと、どこにだれの家があるのか知りません。
そのため、母にバカにされつつ
近所に住む(かなり年上の)いとこに道を教えてもらいながら
その会葬御礼を配ることになりました。
正直、私と姉は年が離れていますので
配った家では、「○○ちゃん?」とか「お姉ちゃんのほう?」とか言われて
姉さんが配った方がよかったんじゃ?と思いましたが
姉さんは「あんたのほうが、ここに住んでいるのが長いから」とか言うんですよね。
まあ、それはともかく、その日留守で配れなかった人は
(また従兄に頼むのは申し訳なかったんで)
夕方姉と一緒に再度回ることにしました。
そうして、その日の夕方姉と回って
今度は姉に玄関先に行ってもらったんですが
その時、2軒ぐらいの家から
「お父さん、妹さんと歩いていたのにね~」と声をかけてもらったそうです。
それを聞いて、私は鼻がつんとしました。
それは父が手術を受ける前に
医師からお腹をひっこめるように言われて
散歩をしていた時のことです。
私は自分で調べて、すでにこの病気の厳しさも、手術をしても余後はよくないだろうことも知っていました。
けれど、それでも父に1日でも生きてほしいと、前向きになってほしいと、一緒になって、父につきあっていました。
(そんなことは知らない)母や姉は、
私にそこまでしなくてもいいだろうと言っていましたが
体が疲れていても、天気がいい日には1日2回、散歩の時間には
父と一緒に近所を歩いていたのです。
その散歩のコースは毎日違っていて
飽きるといけないからと、父は「今日はどこに行こうか」と考えて。
地元ながら、私も知らない場所がたくさんあって
「こんなところがあったんだなあ」と驚きながら父と歩いていました。
自分でも、貴重な時間だなと思っていました。
そんな散歩の途中で、
(私は名前も顔もろくに知らないけれど)畑や庭で会った人たちが
歩いていた私たち親子を覚えていたのでしょう。
本当に切なくて愛しい散歩の時間でした。
ほんの2か月前のことです。
後日、母に「ここの道もお父さんと歩いたよ」とあちこちで言うと
母は「お父さんは死ぬ前に、町全体を歩いて回ったんやなあ・・・」
とつぶやいていました。
そんなことが思い出されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父が亡くなって早1週間以上経ちました。
四十九日までの法事の準備とか、公的機関での手続きとか
家のかたづけとか、手続きの調べ物とか
引き続き慌ただしい日が続いていますが
とうとう疲れが体にきたのか
昨日の朝、起きたら体の不調が目に見えてきました。
なので、昨日から出かけず家で休んでいます。
・・・とはいえ、横になろうとすると
香典返しの商品を勧める業者さんとか
仏壇やさんとか来たりして落ち着かないですね~
ああ、位牌も頼みに行かなくちゃ。
父が亡くなる数日前に注文してしまった高い健康食品が
亡くなってからいくつか届いたので
仕方なく私が飲んでいます。
これで疲労回復できるといいなと思いつつ。
葬儀が終わった次の日には
少しはホッとできるかと思ったのですが
甘かったようです。
お通夜と葬儀は式場を借りたのですが
出席できず自宅へ香典を持ってきて下さった近所の方も大変多く
父が亡くなってすぐに翌日通夜と葬儀だったため
その場でお礼を渡すことが出来ず
そのため葬儀が終わってから会葬御礼の粗品を配るはめになったのです。
(地元の取り決めで、香典の金額は少なめにして「返し」はなしということになってますが、粗品だけは渡さないといけないので)
ところが、私は実家に住んではいますが
外に勤めていたため田舎の付き合いが全くなく
地図を見ないと、どこにだれの家があるのか知りません。
そのため、母にバカにされつつ
近所に住む(かなり年上の)いとこに道を教えてもらいながら
その会葬御礼を配ることになりました。
正直、私と姉は年が離れていますので
配った家では、「○○ちゃん?」とか「お姉ちゃんのほう?」とか言われて
姉さんが配った方がよかったんじゃ?と思いましたが
姉さんは「あんたのほうが、ここに住んでいるのが長いから」とか言うんですよね。
まあ、それはともかく、その日留守で配れなかった人は
(また従兄に頼むのは申し訳なかったんで)
夕方姉と一緒に再度回ることにしました。
そうして、その日の夕方姉と回って
今度は姉に玄関先に行ってもらったんですが
その時、2軒ぐらいの家から
「お父さん、妹さんと歩いていたのにね~」と声をかけてもらったそうです。
それを聞いて、私は鼻がつんとしました。
それは父が手術を受ける前に
医師からお腹をひっこめるように言われて
散歩をしていた時のことです。
私は自分で調べて、すでにこの病気の厳しさも、手術をしても余後はよくないだろうことも知っていました。
けれど、それでも父に1日でも生きてほしいと、前向きになってほしいと、一緒になって、父につきあっていました。
(そんなことは知らない)母や姉は、
私にそこまでしなくてもいいだろうと言っていましたが
体が疲れていても、天気がいい日には1日2回、散歩の時間には
父と一緒に近所を歩いていたのです。
その散歩のコースは毎日違っていて
飽きるといけないからと、父は「今日はどこに行こうか」と考えて。
地元ながら、私も知らない場所がたくさんあって
「こんなところがあったんだなあ」と驚きながら父と歩いていました。
自分でも、貴重な時間だなと思っていました。
そんな散歩の途中で、
(私は名前も顔もろくに知らないけれど)畑や庭で会った人たちが
歩いていた私たち親子を覚えていたのでしょう。
本当に切なくて愛しい散歩の時間でした。
ほんの2か月前のことです。
後日、母に「ここの道もお父さんと歩いたよ」とあちこちで言うと
母は「お父さんは死ぬ前に、町全体を歩いて回ったんやなあ・・・」
とつぶやいていました。
そんなことが思い出されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父が亡くなって早1週間以上経ちました。
四十九日までの法事の準備とか、公的機関での手続きとか
家のかたづけとか、手続きの調べ物とか
引き続き慌ただしい日が続いていますが
とうとう疲れが体にきたのか
昨日の朝、起きたら体の不調が目に見えてきました。
なので、昨日から出かけず家で休んでいます。
・・・とはいえ、横になろうとすると
香典返しの商品を勧める業者さんとか
仏壇やさんとか来たりして落ち着かないですね~
ああ、位牌も頼みに行かなくちゃ。
父が亡くなる数日前に注文してしまった高い健康食品が
亡くなってからいくつか届いたので
仕方なく私が飲んでいます。
これで疲労回復できるといいなと思いつつ。
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2012/06/26 (Tue)
父が亡くなる21~23日の間
病院にずっとつめていましたので
途中姉とは交代していたものの、1~2時間ほど横になるぐらいで
ろくに寝ていない状態で、そのまま父が亡くなったので
そのまま息つくひまもなく、超忙しかったです。
(今も忙しいけど、心の整理中)
あの後、病院から父が自宅に戻り
親戚が集まって、住職を待っている間も
葬儀の話し合いをしなければならず。
今回の葬儀では、母が喪主になりましたが
母は高齢で、体も不自由なため
それは名前だけで、実質は私が喪主となった感じです。
なので、挨拶もすべて私がしました。
(母と一緒に立って挨拶しました)
後で別に長女である姉が喪主でもよかったんじゃないかと思ったんですけど、その時はよくわからないまま私に話がふられたので、うなづいていました。
内心、父のことは私がしなくては・・・と思っていたのかもしれません。
とはいえ、私も全く初めてのことですし
そもそも知識がありません。
調べればわかることも、父が亡くなることを考えたくなかったので
事前に調べることもしていませんでした。
(こういう時、仕切ってくれる親戚がいれば頼もしいのですが
残念ながら、父に一番近い叔父は分家のため
全く葬儀に詳しくなく、それで何かと口を出してくるので
葬儀が終わるまで正直家族が閉口することも多々ありました)
私たちが、葬儀社の人と
あれやこれやと話をしている間に
仏間では、すでに住職さんがやってきてお経をあげていてくれました。
途中で合流しましたが、(病院でも涙はあふれましたが)
お経を聞いているうちに、また涙がこみあげてきました。
なんていうんでしょうか。
父が亡くなって
翌日の納棺の時も、斎場で骨になってしまった時も
父がいなくなったというよりも
父の存在はあるんだけど
その体はもう抜け殻で、父の魂が入っていないから
自分も何も感じない・・・みたいな。
その時はあまり悲しさを感じないのですが
今までの父の頑張りとか、後半のつらさを思うと
こんなに頑張ってきたのに、生きられなかったね・・・
私もいろんなことをしたのに、
もっと生きていけるかと思ったのに・・・
こんな数カ月で・・・と思うと
それで泣けてくるんですよ。
なので、泣かない時と、涙があふれる時の
気持ちのギャップというんでしょうか。
それがありますね。
冷静に見てる自分と、心を痛める自分と。
なので、(不眠と疲労で頭が働かなかったため)
お通夜での挨拶は
もうありきたりな、めっちゃ簡単な文を読んだだけ。
しかし、告別式はやっぱちょっと考えなきゃな・・・と
もらった香典の帳簿を整理したあと、考えてたら午前4時になってて
それでも、なんとか当日滞りなく葬儀をすませることができたのだけど
最期の挨拶は、
(具体的なことは言いませんでしたが)
父の闘病と、急変して息をひきとったことを簡単に言って。
そのまま淡々と読むはずだったのに
「それまでの道のりは決して平たんなものではなく」と言ったところで
今までの、父のつらいことが思いだされ、胸がつまり、涙があふれてきました。
「息をひきとる当日の朝も、自分の力で立ち上がろうと必死で、気丈で、
本当によくここまで頑張ったなという思いでいっぱいです」
そう、あふれる涙をこらえながら続けました。
たった数カ月でしたけど、ホントに長く感じました。
本当に父は頑張ったと思います。
(途中で、もう私たちは父に頑張れとは言えませんでした)
本当は、そんな簡単な言葉では言い表せません。
でも、人に病気であることを告げたくなかった父だから
最期まで強気な父を演出した・・・という思いも根底にありました。
ちなみに、式場の司会の人もプロだからでしょうか。
よくもまあ、私たち姉妹の話から
あんなふうに文章を組み立てるものだと感心しましたよ。
ある意味お涙頂戴みたいで、くさかったですけどね。
事前に、父について聞かれたんですよ。
「どんなお父様でした?」
姉は「小さい頃は厳しかったです」と答えていました。
私は一言では答えられませんでした。
「何か忘れられない思い出はありますか?」
私は、特に何もありませんでした。
この数ヶ月間の、闘病生活があまりにも鮮明で
個々の思い出はあっても、こんな暖かなエピソードがありました、という話は思いつきませんでした。
しいていえば、昔、祖父と孫に間違えられたこととか。
「最期にお父様に言いたいことは?」
と、聞かれたけど、特に何もなかったです。
あえて言うなら、「頑張ったね」ぐらいでしょうけど
っていうか、もうすべて言いたいことは父に言ってきたと思うので。
そりゃ、父が期待して、私にできなかったことは、ごめんねと言いたいけれど、出来ないものはどうしようもないんで。
小さなトゲのような後悔はどうしてもありますよ。
あれは急変する前、20日の日だったかな。
姉が病室に来た時、
「あしゃん、疲れたの?毎日だもんね」と声をかけてくれたんですけど、
父も「毎日やでなあ・・・」と言うんですよ。
(姉はたぶん、特に他意はないと思うんですけど
「お父さんが元気にならないと、あしゃんも自分のことができないから」と言ってたことがあって)
そのたびに、私は父が気にしないといいなあと思ってました。
周りが「あしゃん、えらいでしょ?」って心配して言うけど、
私は自分のことをえらいとか、父の世話をするのがつらいとか思っていませんでした。
そりゃ、父の食事を考えたり作ったりするのは大変だったけど
イヤイヤやってるわけじゃなかったし
ホントにつらいのは父の方だと知っていたし。
だから、姉が帰った後
私は父の目線に合わせて言いました。
「お父さん、私大変じゃないからね。気にせんといて。
私は好きでここにいるんだから。
私はお父さんといたいから、毎日来るんだよ」
そう言ったら、父は
「ようわかっとる。ようわかっとるで」
そう言って、ほんの少し泣いていました。
幸い?最期に父を看取ることはできましたが、
もし心残りがあるとすれば
急変した時、姉と交代していたため、そばにいなくて
「あしゃん、あしゃん」と苦しい中、私の名前を呼んでいたという父に
「ここにいるよ」とすぐに返事が出来なかったことでしょうか。
そばにいてやりたかったなあ・・・
姉は後悔ばかりだと言っています。
病院にずっとつめていましたので
途中姉とは交代していたものの、1~2時間ほど横になるぐらいで
ろくに寝ていない状態で、そのまま父が亡くなったので
そのまま息つくひまもなく、超忙しかったです。
(今も忙しいけど、心の整理中)
あの後、病院から父が自宅に戻り
親戚が集まって、住職を待っている間も
葬儀の話し合いをしなければならず。
今回の葬儀では、母が喪主になりましたが
母は高齢で、体も不自由なため
それは名前だけで、実質は私が喪主となった感じです。
なので、挨拶もすべて私がしました。
(母と一緒に立って挨拶しました)
後で別に長女である姉が喪主でもよかったんじゃないかと思ったんですけど、その時はよくわからないまま私に話がふられたので、うなづいていました。
内心、父のことは私がしなくては・・・と思っていたのかもしれません。
とはいえ、私も全く初めてのことですし
そもそも知識がありません。
調べればわかることも、父が亡くなることを考えたくなかったので
事前に調べることもしていませんでした。
(こういう時、仕切ってくれる親戚がいれば頼もしいのですが
残念ながら、父に一番近い叔父は分家のため
全く葬儀に詳しくなく、それで何かと口を出してくるので
葬儀が終わるまで正直家族が閉口することも多々ありました)
私たちが、葬儀社の人と
あれやこれやと話をしている間に
仏間では、すでに住職さんがやってきてお経をあげていてくれました。
途中で合流しましたが、(病院でも涙はあふれましたが)
お経を聞いているうちに、また涙がこみあげてきました。
なんていうんでしょうか。
父が亡くなって
翌日の納棺の時も、斎場で骨になってしまった時も
父がいなくなったというよりも
父の存在はあるんだけど
その体はもう抜け殻で、父の魂が入っていないから
自分も何も感じない・・・みたいな。
その時はあまり悲しさを感じないのですが
今までの父の頑張りとか、後半のつらさを思うと
こんなに頑張ってきたのに、生きられなかったね・・・
私もいろんなことをしたのに、
もっと生きていけるかと思ったのに・・・
こんな数カ月で・・・と思うと
それで泣けてくるんですよ。
なので、泣かない時と、涙があふれる時の
気持ちのギャップというんでしょうか。
それがありますね。
冷静に見てる自分と、心を痛める自分と。
なので、(不眠と疲労で頭が働かなかったため)
お通夜での挨拶は
もうありきたりな、めっちゃ簡単な文を読んだだけ。
しかし、告別式はやっぱちょっと考えなきゃな・・・と
もらった香典の帳簿を整理したあと、考えてたら午前4時になってて
それでも、なんとか当日滞りなく葬儀をすませることができたのだけど
最期の挨拶は、
(具体的なことは言いませんでしたが)
父の闘病と、急変して息をひきとったことを簡単に言って。
そのまま淡々と読むはずだったのに
「それまでの道のりは決して平たんなものではなく」と言ったところで
今までの、父のつらいことが思いだされ、胸がつまり、涙があふれてきました。
「息をひきとる当日の朝も、自分の力で立ち上がろうと必死で、気丈で、
本当によくここまで頑張ったなという思いでいっぱいです」
そう、あふれる涙をこらえながら続けました。
たった数カ月でしたけど、ホントに長く感じました。
本当に父は頑張ったと思います。
(途中で、もう私たちは父に頑張れとは言えませんでした)
本当は、そんな簡単な言葉では言い表せません。
でも、人に病気であることを告げたくなかった父だから
最期まで強気な父を演出した・・・という思いも根底にありました。
ちなみに、式場の司会の人もプロだからでしょうか。
よくもまあ、私たち姉妹の話から
あんなふうに文章を組み立てるものだと感心しましたよ。
ある意味お涙頂戴みたいで、くさかったですけどね。
事前に、父について聞かれたんですよ。
「どんなお父様でした?」
姉は「小さい頃は厳しかったです」と答えていました。
私は一言では答えられませんでした。
「何か忘れられない思い出はありますか?」
私は、特に何もありませんでした。
この数ヶ月間の、闘病生活があまりにも鮮明で
個々の思い出はあっても、こんな暖かなエピソードがありました、という話は思いつきませんでした。
しいていえば、昔、祖父と孫に間違えられたこととか。
「最期にお父様に言いたいことは?」
と、聞かれたけど、特に何もなかったです。
あえて言うなら、「頑張ったね」ぐらいでしょうけど
っていうか、もうすべて言いたいことは父に言ってきたと思うので。
そりゃ、父が期待して、私にできなかったことは、ごめんねと言いたいけれど、出来ないものはどうしようもないんで。
小さなトゲのような後悔はどうしてもありますよ。
あれは急変する前、20日の日だったかな。
姉が病室に来た時、
「あしゃん、疲れたの?毎日だもんね」と声をかけてくれたんですけど、
父も「毎日やでなあ・・・」と言うんですよ。
(姉はたぶん、特に他意はないと思うんですけど
「お父さんが元気にならないと、あしゃんも自分のことができないから」と言ってたことがあって)
そのたびに、私は父が気にしないといいなあと思ってました。
周りが「あしゃん、えらいでしょ?」って心配して言うけど、
私は自分のことをえらいとか、父の世話をするのがつらいとか思っていませんでした。
そりゃ、父の食事を考えたり作ったりするのは大変だったけど
イヤイヤやってるわけじゃなかったし
ホントにつらいのは父の方だと知っていたし。
だから、姉が帰った後
私は父の目線に合わせて言いました。
「お父さん、私大変じゃないからね。気にせんといて。
私は好きでここにいるんだから。
私はお父さんといたいから、毎日来るんだよ」
そう言ったら、父は
「ようわかっとる。ようわかっとるで」
そう言って、ほんの少し泣いていました。
幸い?最期に父を看取ることはできましたが、
もし心残りがあるとすれば
急変した時、姉と交代していたため、そばにいなくて
「あしゃん、あしゃん」と苦しい中、私の名前を呼んでいたという父に
「ここにいるよ」とすぐに返事が出来なかったことでしょうか。
そばにいてやりたかったなあ・・・
姉は後悔ばかりだと言っています。
2012/06/26 (Tue)
23日の早朝2時半ごろだったでしょうか
父の紙おむつのパッドが不足していることもあり
メールで連絡をとっていた姉が病院に来てくれて
私と交代してくれました。
私は2時間ほどデイルームで横になって休んだ後
朝6時ごろ病院を出て、一度自宅に戻りました。
(自宅には車で30分はかかります)
予定では、お昼頃に病院に戻り、姉と交代し
姉には帰ってもらうはずでした。
その自宅へ帰った時に書きこんだのが
22日の日記の追記部分になります。
なので、まさかその日の午後に亡くなるとは思いませんでした。
朝9時ごろ、念のために携帯をそばにおいて横になっていると
メールが入りました。
『すぐにきて!お父さんが苦しそうです』
それを見て、私は飛び起き
母を連れて昨日のままのかばんを持って車に乗り込みました。
と同時に、父の弟である叔父にも連絡。
運転中、しばらくして再びメールが入りました。
部屋番号が変わったらしいので、とりあえず命をとりとめたのかと
間に合ったとホッとしました。
新しい病室(個室)に入ると、父は酸素吸入器(今度は鼻だけでなく口元も)をしていました。
でも、ちゃんと意識があって、言うことも聞こえてうなづきもしてくれたので、安堵としました。
私は父の目を見て、「ここにいるから」と言いました。
姉の話によると、朝8時半ぐらいまではまだ自分でトイレに行こうとして、押しとどめていたそうです。
ですが、姉が席をはずして戻ったときに、
苦しそうにしており、慌ててナースコールを押したそうです。
すぐには看護師さんも来てくれず、姉も焦ったと言います。
父はその時、私の名前を呼んでいたそうです。
その間、叔父が来て、私が渡した親戚の名簿に連絡して
昼前から午後にかけて親戚があちこちから駆けつけました。
ほとんど市内なので、わりとみな早く来ましたね。
みな、それぞれ父に声をかけると、父はうなづいていました。
血液の酸素量も少なくなって、酸素吸入器もMAXにして。
家族はみな酸素量の数値を見ながら、
父の手足をさすっていました。
その頃はまだ父も足をもぞもぞ動かしていましたが
次第に動きが鈍くなりました。
そのうち、うなづきもしなくなりました。
呼吸も苦しそうです。
『お父さん、もう少しだからね』
私は父に手をふれながら語りかけていました。
途中医師が来て、かなり心臓の動きが弱くなっているから
今日から明日にかけて亡くなるだろうと言われ
親戚に告げると、一度家に戻り、また連絡してくれということで
それぞれ帰って行きました。
母と姉も今晩は泊り込みになるだろうから、その時のために、自宅の座敷を掃除しないといけないということで、病室を抜けました。
そして、病室に残っていたのは、私と甥と姪の3人でした。
その間も、私たちは交代で父の体をさすっていました。
さすっていると数値はあがるけれど、止めれば下がるので
もうすぐその時が近いかもしれないと、私は思いました。
そうして、腕をさすっていた姪がふと言いました。
「ねえ、おじいちゃん。息とまってないよね?」
「え?」
足をさすっていた私は顔をあげました。
父を見ると、顔は微動だにしていませんでしたが、心臓はかすかに動いています。
私は父の胸に手をおいて
「まだ心臓はゆっくりだけど動いてるよ」
と答えながらも、瞳が渇いているような気がして・・・
とその時。
医師と看護師が心電図の機械を持って入ってきました。
それを見て、とうとうその時が来たんだなと思いました。
医師は心臓は動いているというより信号を出してはいるが
ほとんど止まっていると言いました。
私は「まだ耳は聞こえますか?」と尋ね
もう聞こえていないかもしれないけれど
私たちは呼びかけました。
「お父さん、私はここにいるよ!」
「おじいちゃん!」
・・・・・・・・
そうして、5時25分、父は息を引き取りました。
私と姪と甥の3人の前で。
医師が死亡確認をしました。
他の家族は間に合いませんでした。
姉と母は、連絡を受け、家に帰る運転中だったところ、すぐに引き返してきました。
まだ付近にいた親戚の一部も戻ってきましたが
その他の親戚は、自宅に電話すると、さっき会ったばかりなのにと訃報に驚いていました。
その後は看護師による遺体処理が済むまで
葬儀場と寺の住職へ連絡をしていました。
父の遺体は迎えが来るまで地下の安置所に置かれましたが
その時、叔父さんの言うこと(苦笑)
「兄貴はろくな人生じゃなかったなあ・・・」
確かに、父は小学5~6年ごろに父親が戦死して
幼い弟妹を養わなければならない長男でした。
そして23歳の頃、母親を失っています。
(自宅で倒れていたそうです)
貧乏ボロ家で、小姑がたくさんいて、嫁の来てがなかったのか
(母いはく、「騙された」という)当時にしては晩婚で
薄給で家をここまで立て直すには、母も含めて大変だっただろうと思います。(母への仕打ちは別にして)
ちなみに、末っ子の叔父が一番父に迷惑をかけていたのでは?と思うんですがね。
でも、最期に家族に見てもらいながらあの世に行くんだから
それほど悪い人生じゃなかったのでは?と思うんですが
まあ、価値観は人それぞれですからね・・・
そんなわけで、眠るように・・・とまではいきませんでしたが
静かに父は息をひきとりました。
少しでもヒーリングの効果があったのかなと思います。
それにしても、亡くなってから慌ただしいですね。
日々の看病に精魂込めていたので
亡くなった時のことをあまり考えてなくて
(というか、父も嫌がる人だったので)
違う意味で右往左往しています。
父の紙おむつのパッドが不足していることもあり
メールで連絡をとっていた姉が病院に来てくれて
私と交代してくれました。
私は2時間ほどデイルームで横になって休んだ後
朝6時ごろ病院を出て、一度自宅に戻りました。
(自宅には車で30分はかかります)
予定では、お昼頃に病院に戻り、姉と交代し
姉には帰ってもらうはずでした。
その自宅へ帰った時に書きこんだのが
22日の日記の追記部分になります。
なので、まさかその日の午後に亡くなるとは思いませんでした。
朝9時ごろ、念のために携帯をそばにおいて横になっていると
メールが入りました。
『すぐにきて!お父さんが苦しそうです』
それを見て、私は飛び起き
母を連れて昨日のままのかばんを持って車に乗り込みました。
と同時に、父の弟である叔父にも連絡。
運転中、しばらくして再びメールが入りました。
部屋番号が変わったらしいので、とりあえず命をとりとめたのかと
間に合ったとホッとしました。
新しい病室(個室)に入ると、父は酸素吸入器(今度は鼻だけでなく口元も)をしていました。
でも、ちゃんと意識があって、言うことも聞こえてうなづきもしてくれたので、安堵としました。
私は父の目を見て、「ここにいるから」と言いました。
姉の話によると、朝8時半ぐらいまではまだ自分でトイレに行こうとして、押しとどめていたそうです。
ですが、姉が席をはずして戻ったときに、
苦しそうにしており、慌ててナースコールを押したそうです。
すぐには看護師さんも来てくれず、姉も焦ったと言います。
父はその時、私の名前を呼んでいたそうです。
その間、叔父が来て、私が渡した親戚の名簿に連絡して
昼前から午後にかけて親戚があちこちから駆けつけました。
ほとんど市内なので、わりとみな早く来ましたね。
みな、それぞれ父に声をかけると、父はうなづいていました。
血液の酸素量も少なくなって、酸素吸入器もMAXにして。
家族はみな酸素量の数値を見ながら、
父の手足をさすっていました。
その頃はまだ父も足をもぞもぞ動かしていましたが
次第に動きが鈍くなりました。
そのうち、うなづきもしなくなりました。
呼吸も苦しそうです。
『お父さん、もう少しだからね』
私は父に手をふれながら語りかけていました。
途中医師が来て、かなり心臓の動きが弱くなっているから
今日から明日にかけて亡くなるだろうと言われ
親戚に告げると、一度家に戻り、また連絡してくれということで
それぞれ帰って行きました。
母と姉も今晩は泊り込みになるだろうから、その時のために、自宅の座敷を掃除しないといけないということで、病室を抜けました。
そして、病室に残っていたのは、私と甥と姪の3人でした。
その間も、私たちは交代で父の体をさすっていました。
さすっていると数値はあがるけれど、止めれば下がるので
もうすぐその時が近いかもしれないと、私は思いました。
そうして、腕をさすっていた姪がふと言いました。
「ねえ、おじいちゃん。息とまってないよね?」
「え?」
足をさすっていた私は顔をあげました。
父を見ると、顔は微動だにしていませんでしたが、心臓はかすかに動いています。
私は父の胸に手をおいて
「まだ心臓はゆっくりだけど動いてるよ」
と答えながらも、瞳が渇いているような気がして・・・
とその時。
医師と看護師が心電図の機械を持って入ってきました。
それを見て、とうとうその時が来たんだなと思いました。
医師は心臓は動いているというより信号を出してはいるが
ほとんど止まっていると言いました。
私は「まだ耳は聞こえますか?」と尋ね
もう聞こえていないかもしれないけれど
私たちは呼びかけました。
「お父さん、私はここにいるよ!」
「おじいちゃん!」
・・・・・・・・
そうして、5時25分、父は息を引き取りました。
私と姪と甥の3人の前で。
医師が死亡確認をしました。
他の家族は間に合いませんでした。
姉と母は、連絡を受け、家に帰る運転中だったところ、すぐに引き返してきました。
まだ付近にいた親戚の一部も戻ってきましたが
その他の親戚は、自宅に電話すると、さっき会ったばかりなのにと訃報に驚いていました。
その後は看護師による遺体処理が済むまで
葬儀場と寺の住職へ連絡をしていました。
父の遺体は迎えが来るまで地下の安置所に置かれましたが
その時、叔父さんの言うこと(苦笑)
「兄貴はろくな人生じゃなかったなあ・・・」
確かに、父は小学5~6年ごろに父親が戦死して
幼い弟妹を養わなければならない長男でした。
そして23歳の頃、母親を失っています。
(自宅で倒れていたそうです)
貧乏ボロ家で、小姑がたくさんいて、嫁の来てがなかったのか
(母いはく、「騙された」という)当時にしては晩婚で
薄給で家をここまで立て直すには、母も含めて大変だっただろうと思います。(母への仕打ちは別にして)
ちなみに、末っ子の叔父が一番父に迷惑をかけていたのでは?と思うんですがね。
でも、最期に家族に見てもらいながらあの世に行くんだから
それほど悪い人生じゃなかったのでは?と思うんですが
まあ、価値観は人それぞれですからね・・・
そんなわけで、眠るように・・・とまではいきませんでしたが
静かに父は息をひきとりました。
少しでもヒーリングの効果があったのかなと思います。
それにしても、亡くなってから慌ただしいですね。
日々の看病に精魂込めていたので
亡くなった時のことをあまり考えてなくて
(というか、父も嫌がる人だったので)
違う意味で右往左往しています。
2012/06/26 (Tue)
5月23日
(午前、病院から一時帰宅した時の書き込み)
立って歩くのが無理そうなので、紙おむつに変わりましたが
トイレに行きたい気持ちはそのままなので
起きあがってベッドから降りようとするのを押しとどめるのにも一苦労です。やはり寝られません。
夜中は看護師の数も少ないので、ナースコールしてもすぐに来てもらえませんしね。
一度、夜に目を離したすきに自分で歩こうとして転倒しかけ、ベッドに柵と
(今までは自発的だったのですが)看護師から家族の付き添いをお願いされました。
なので、家族で交代ですることに。
鼻だけの酸素吸収をしてもらったところ、気分が楽になったみたいで、
前日みたいな症状がないようになったのはよかったです。
本人は、自分の体が思い通りに動かせないのが見ててつらそうです。
(そして・・・)
その日、父は夕方5時25分、永眠しました。
(午前、病院から一時帰宅した時の書き込み)
立って歩くのが無理そうなので、紙おむつに変わりましたが
トイレに行きたい気持ちはそのままなので
起きあがってベッドから降りようとするのを押しとどめるのにも一苦労です。やはり寝られません。
夜中は看護師の数も少ないので、ナースコールしてもすぐに来てもらえませんしね。
一度、夜に目を離したすきに自分で歩こうとして転倒しかけ、ベッドに柵と
(今までは自発的だったのですが)看護師から家族の付き添いをお願いされました。
なので、家族で交代ですることに。
鼻だけの酸素吸収をしてもらったところ、気分が楽になったみたいで、
前日みたいな症状がないようになったのはよかったです。
本人は、自分の体が思い通りに動かせないのが見ててつらそうです。
(そして・・・)
その日、父は夕方5時25分、永眠しました。
2012/06/26 (Tue)
5月22日
(貫徹明けで、頭が働かず誤字脱字&はしょった物言い、ご容赦ください)
☆昨日ケースワーカーからコンタクトがあって、医師の話の前に話を聞きたいと言ってきたので、家族が転院先の希望を言いました。
そこで、医師の話とワーカーとの話は別物らしいと知りました。
(ていうかさ、余命1カ月もたないかもしれないっていうのに
介護保険の請求だと?!
そんなの、間に合うわけないじゃない!!
そう、私は涙ながらに言ったよ)
☆20日までの父は、体調が悪いながらも
少しは食べ物を口にし、いびきをかいて寝る状態でした。
しかし、21日病院に行った時、あまりの変わりように愕然としました。
明らかに悪化していて、一人で立てず、また新たな痛みの症状が出てきていました。
そのため、いつもなら駐車代の関係で、途中で病院を出るのですが
昨日は、これはやばいのではと、1日病院からでずにつきそっていました。
☆ケースワーカーの話のあと、今度は医師の話を家族で聞きました。
そうしたらば、医師の話の予約は先週17日ごろだったかと思いますが
もう命がもたなそうだ。
この1~2週間がヤマで、今日かもしれないし明日かもしれないと言われました。
私は父の変わりようを目にしていましたので、とうとうその時が近づいてきたのかと思いました。
医師は最期の処置はどうするか聞きました。
私は自然な形で、と答えました。
そのため、転院の話は白紙になりました。
体がもたないということで、今の病院で終えそうです。
☆部屋に戻ると
何度もトイレに行きたくなるのに、自分一人ではトイレに行けなくなってしまった父が、夜のことを懸念してか
私に夜も病院に残って欲しいと懇願しました。
父は両手をあわせて涙ぐんでいました。
なので、私は昨夜から泊り込みで付き添っていました。
30分~1時間おきのトイレへの介助。
(ポータブルトイレも設置してますがイヤみたいです)
痰やおう吐物の処理。
背中や腰のいたみを軽減するためにさすったりもんだり
もちろんレイキもしていました。
全く落ち着かない状態だったので、こちらも休めず
さすがに疲労困憊です。
多忙な姉ですが、見かねて今日は朝から一時交代を申し出てくれて
今、いったん家に戻ってますが、用事もあり、なかなか睡眠をとれない状態です。
また夜は泊り込むと思います。
早朝姉とすぐに交代する予定でしたが、
父が医師の回診の時も私にいてほしいというので
帰るのが遅れました。
寝不足で事故をおこすといけないので、
休み休みしながら家に帰ってきました。
父は余命を知らないのですが(家族が「とても言えない」と)
「もうあかんわ」と言いつつも
今はこの症状をなんとかしてほしいと医師に訴えています。
25日予約してある持病の診察も気にかけています。
そんなことは心配しなくていいんだよと言いますが
つらそうな父を見ているこちらも、つらいです。
(貫徹明けで、頭が働かず誤字脱字&はしょった物言い、ご容赦ください)
☆昨日ケースワーカーからコンタクトがあって、医師の話の前に話を聞きたいと言ってきたので、家族が転院先の希望を言いました。
そこで、医師の話とワーカーとの話は別物らしいと知りました。
(ていうかさ、余命1カ月もたないかもしれないっていうのに
介護保険の請求だと?!
そんなの、間に合うわけないじゃない!!
そう、私は涙ながらに言ったよ)
☆20日までの父は、体調が悪いながらも
少しは食べ物を口にし、いびきをかいて寝る状態でした。
しかし、21日病院に行った時、あまりの変わりように愕然としました。
明らかに悪化していて、一人で立てず、また新たな痛みの症状が出てきていました。
そのため、いつもなら駐車代の関係で、途中で病院を出るのですが
昨日は、これはやばいのではと、1日病院からでずにつきそっていました。
☆ケースワーカーの話のあと、今度は医師の話を家族で聞きました。
そうしたらば、医師の話の予約は先週17日ごろだったかと思いますが
もう命がもたなそうだ。
この1~2週間がヤマで、今日かもしれないし明日かもしれないと言われました。
私は父の変わりようを目にしていましたので、とうとうその時が近づいてきたのかと思いました。
医師は最期の処置はどうするか聞きました。
私は自然な形で、と答えました。
そのため、転院の話は白紙になりました。
体がもたないということで、今の病院で終えそうです。
☆部屋に戻ると
何度もトイレに行きたくなるのに、自分一人ではトイレに行けなくなってしまった父が、夜のことを懸念してか
私に夜も病院に残って欲しいと懇願しました。
父は両手をあわせて涙ぐんでいました。
なので、私は昨夜から泊り込みで付き添っていました。
30分~1時間おきのトイレへの介助。
(ポータブルトイレも設置してますがイヤみたいです)
痰やおう吐物の処理。
背中や腰のいたみを軽減するためにさすったりもんだり
もちろんレイキもしていました。
全く落ち着かない状態だったので、こちらも休めず
さすがに疲労困憊です。
多忙な姉ですが、見かねて今日は朝から一時交代を申し出てくれて
今、いったん家に戻ってますが、用事もあり、なかなか睡眠をとれない状態です。
また夜は泊り込むと思います。
早朝姉とすぐに交代する予定でしたが、
父が医師の回診の時も私にいてほしいというので
帰るのが遅れました。
寝不足で事故をおこすといけないので、
休み休みしながら家に帰ってきました。
父は余命を知らないのですが(家族が「とても言えない」と)
「もうあかんわ」と言いつつも
今はこの症状をなんとかしてほしいと医師に訴えています。
25日予約してある持病の診察も気にかけています。
そんなことは心配しなくていいんだよと言いますが
つらそうな父を見ているこちらも、つらいです。
2012/06/26 (Tue)
5月19日
ちょっと浮上しました。
とりあえず、17日の件は
まず医師の話を聞いてから考えます。
それで困ったら、専用相談窓口でも相談してみようかと。
やはり同じような方はいるみたいですね。
医師や看護師さん個人も好きで言ってるわけではないと思うんで
やっぱ根本的に法律とか医療体制が問題なんでしょうね。
悲しいですが。
どうしても近くに入れてもらえるような病院がなければ
自宅での訪問看護ということも視野にいれないといけないかなと。
(もっとも訪問看護ステーションの質にもよりますが)
ただ、それはそれで準備とかあって大変ですが
バタバタしてもう息つく暇もないなあという感じです。
(それに覚悟もいるだろうし)
そんな中でも、
病室でいびきをかいて寝る父を見てるとホッとします。
昨日もなんとか1日過ごせました。
ありがたい、ありがたい。
まあ、気分がすぐれず、食欲不振なのは相変わらずですけどね。
あとはトイレの便通が通常じゃないので、それが困るかな。
今はキリがないので紙パンツ使用。(自分でトイレに行くし交換できます)
ヒーリングマラソンしてもらった時はちゃんとしてたみたい(笑)
ちなみにこないだから吐き気がひどい時は
吐き気止めの注射をうってもらうようになったんだけど
(というか、父の希望。薬とか処方してくれというんです)
頓服みたいなものだから、しょっちゅう使っていてはこちらも心配です。
なので、昨日も
(私がいる時だったんでよかったけど、いない時はたぶん注射してもらうと思うんです)
「なんか気分が悪くなってきた。注射してもらおうか、どうしよう」
と父が言ったので
「う~ん、あまりしょっちゅうだと体に悪そうだけど。
我慢できないなら仕方ないけど、前はいつ打ってもらったっけ?」
と言ったら
「じゃあ、やめとこか」という父。
「寝るとの起きてるのと、どちらが気持ち悪い?」
「どっちでも・・・」と言いつつ、父が横になったので
「じゃあ、気を紛らわすように寝させてあげるから。余計なこと考えない」
と言って、父の額に手をあてました。
んで、10分ぐらいたったところ
ぐー。
といびきをかいて寝はじめたので、「よし」と思いました。
よし、次からこの手で行こう(笑)
難しいことはできないけど、これぐらいならできそうかな。
また「寝させてあげる」というと暗示にもなってるかなとか思ったり。
追記:夜、寝不足なんで寝るというのもありますけどね。
気鬱なことはたくさんありますが、こんな状態なので不安を言ってはきりがないです。
とりあえず、17日の件は
まず医師の話を聞いてから考えます。
それで困ったら、専用相談窓口でも相談してみようかと。
やはり同じような方はいるみたいですね。
医師や看護師さん個人も好きで言ってるわけではないと思うんで
やっぱ根本的に法律とか医療体制が問題なんでしょうね。
悲しいですが。
どうしても近くに入れてもらえるような病院がなければ
自宅での訪問看護ということも視野にいれないといけないかなと。
(もっとも訪問看護ステーションの質にもよりますが)
ただ、それはそれで準備とかあって大変ですが
バタバタしてもう息つく暇もないなあという感じです。
(それに覚悟もいるだろうし)
そんな中でも、
病室でいびきをかいて寝る父を見てるとホッとします。
昨日もなんとか1日過ごせました。
ありがたい、ありがたい。
まあ、気分がすぐれず、食欲不振なのは相変わらずですけどね。
あとはトイレの便通が通常じゃないので、それが困るかな。
今はキリがないので紙パンツ使用。(自分でトイレに行くし交換できます)
ヒーリングマラソンしてもらった時はちゃんとしてたみたい(笑)
ちなみにこないだから吐き気がひどい時は
吐き気止めの注射をうってもらうようになったんだけど
(というか、父の希望。薬とか処方してくれというんです)
頓服みたいなものだから、しょっちゅう使っていてはこちらも心配です。
なので、昨日も
(私がいる時だったんでよかったけど、いない時はたぶん注射してもらうと思うんです)
「なんか気分が悪くなってきた。注射してもらおうか、どうしよう」
と父が言ったので
「う~ん、あまりしょっちゅうだと体に悪そうだけど。
我慢できないなら仕方ないけど、前はいつ打ってもらったっけ?」
と言ったら
「じゃあ、やめとこか」という父。
「寝るとの起きてるのと、どちらが気持ち悪い?」
「どっちでも・・・」と言いつつ、父が横になったので
「じゃあ、気を紛らわすように寝させてあげるから。余計なこと考えない」
と言って、父の額に手をあてました。
んで、10分ぐらいたったところ
ぐー。
といびきをかいて寝はじめたので、「よし」と思いました。
よし、次からこの手で行こう(笑)
難しいことはできないけど、これぐらいならできそうかな。
また「寝させてあげる」というと暗示にもなってるかなとか思ったり。
追記:夜、寝不足なんで寝るというのもありますけどね。
気鬱なことはたくさんありますが、こんな状態なので不安を言ってはきりがないです。
2012/06/26 (Tue)
5月17日
え~、なんといいますか
前もって言うと、今日も落ちこんでいます。
まあ、父の体調もよくはないんですけども
それよりも病院側の体制がね・・・っていうか
父のことを考えると、落ちこみます。
先日医師が今後のことで3つの選択肢の話をしました。
その時の1番目。
入院しつつ、体調がよければ外出も可。
っていうのが、1番いいかもな~と家族で言ってたんです。
もっとも、今や外出も無理そうなので父も家に帰らず
病院内しか動けないんですが。
で、その3つの選択のうち、今すぐ決められないと思うので
ってことで、また返事をすることになっていました。
そうして、母が今日ナースコーナーへ返事をしに言ったんですが。
そこで母は複数の看護師さんから
「ここは救急病院なのでベッド数もたりないから出てって欲しい」
というようなことを言われて驚いたそうです。
そりゃ、医師の話を聞いた時
家に引き取れと言われなかったな~と日記にも書いたけど
返事をしたら、この対応って、それじゃああんまりです。
医師の話とは違うじゃん。
それなら、はじめからちゃんとそう言ってくれたほうがマシだったかも。
要するに追い出したいけど、言いにくいから回りくどい言い方をしたのかな。
結局は診療報酬とかの経営の問題もあるでしょう。
緩和ケアだけの入院は行っていないのかもしれません。
確かに、大災害の時でも医師は
致命傷でもう助からない人は放っておいて
助かる見込みのある人だけ治療しますよね。
限られた時間と人力の中で、一人でも多くの命を救うために
あえて助かる見込みのない人を切り捨てなければならない。
つまり、そういう切羽詰まった場面だったら
腹を立てるのはお角違いかもしれません。
でも、その切り捨てられた人たちの家族はさぞ悔しかっただろうなと思います。
しかも、1か月ももたないかもしれないと言っておきながら
1か月も置いてくれないのかと思うと、悲しくてなりません。
母が脳梗塞になった時も、某首相が制定した法律のおかげで、病院は診療報酬等の関係で、症状が重かろうが軽かろうが関係なく3カ月以内に退院させ、リハビリ病棟に転院させなければならないという流れだということを知りました。
そうして、希望のリハビリ病棟に空きがなければ、リハビリ難民になってしまうのです。
今回の場合、もはや病院から見放され、治療もできない患者はガン難民と呼ばれますが、さらに病棟難民にもなってしまいそうです。
とはいえ、今日はいきなり母が看護師さんから聞かされただけで
また医師に都合を聞いて話を聞かなければなりませんが。
はたして近くに転院先があるのかも心配ですが
何より、裏で治療は何もできないという医師に
「お願いします」と言う父を思うと・・・
それなのに、病院を出ろだなんて
それこそショックで命を縮めないか、そちらのほうが気がかりです。
そんなわけで、今や看護師さんの
スマイルや優しい声かけも
超ウソくさいものに思えて仕方がありません。
(まあ、仕事だし、本音と建前があるのはわかりますけど)
父がおざなりにされないかとも思ってしまいます。
本当に、母から看護師さんから何か言われたと聞いた時は
これ以上、なんの悪いことがあるのかと思いました。
そして実際、
これ以上病院からダメージを受けるとは思いませんでした。
以前、TVでも見ましたが、介護が必要な患者がいて
今の病院でみてほしい家族と、施設に出したい病院側の仲裁に
専属のケースワーカーさんが入って話しあい、
結局その人はお金の関係もあり、県外の施設に移ることになったそうです。
その時ケースワーカーさんは「時には追い出し屋と呼ばれることもあります」と言ってました。
そういうケースが、うちにも来たんだなあ・・・
ホントに他人事じゃないですよ、皆さん(苦笑)
そういえば、雑誌で「死ぬなら癌で死ぬのが1番いいですよ。最後まで意識がありますし、準備できますからね」なんて言ってた大学の医師がいましたが、その医師は自分が病院をたらい回しにされることなんて思ってもいないんでしょうね。
意識があるからこそ、辛いことだってあります。
病院帰りの車の中でも、客観的にみても「私、かなりダメージ受けてるよね」とか思ってました。
とまあ、体調のイライラもあって、カッとしちゃダメ~!と自分に言い聞かせ、ヒーリングしなきゃ、とか思ってましたが、お風呂に入ってちょっと落ち着きました。ふう・・・
あ~あ、近くにケアの充実した病院があったらなあ・・・
(まあ、あっても満室だろうけど)
まだ、県内でもそんなにないんだよな~(たった3つ)
医師から言われたところも遠いんだもん
え~、なんといいますか
前もって言うと、今日も落ちこんでいます。
まあ、父の体調もよくはないんですけども
それよりも病院側の体制がね・・・っていうか
父のことを考えると、落ちこみます。
先日医師が今後のことで3つの選択肢の話をしました。
その時の1番目。
入院しつつ、体調がよければ外出も可。
っていうのが、1番いいかもな~と家族で言ってたんです。
もっとも、今や外出も無理そうなので父も家に帰らず
病院内しか動けないんですが。
で、その3つの選択のうち、今すぐ決められないと思うので
ってことで、また返事をすることになっていました。
そうして、母が今日ナースコーナーへ返事をしに言ったんですが。
そこで母は複数の看護師さんから
「ここは救急病院なのでベッド数もたりないから出てって欲しい」
というようなことを言われて驚いたそうです。
そりゃ、医師の話を聞いた時
家に引き取れと言われなかったな~と日記にも書いたけど
返事をしたら、この対応って、それじゃああんまりです。
医師の話とは違うじゃん。
それなら、はじめからちゃんとそう言ってくれたほうがマシだったかも。
要するに追い出したいけど、言いにくいから回りくどい言い方をしたのかな。
結局は診療報酬とかの経営の問題もあるでしょう。
緩和ケアだけの入院は行っていないのかもしれません。
確かに、大災害の時でも医師は
致命傷でもう助からない人は放っておいて
助かる見込みのある人だけ治療しますよね。
限られた時間と人力の中で、一人でも多くの命を救うために
あえて助かる見込みのない人を切り捨てなければならない。
つまり、そういう切羽詰まった場面だったら
腹を立てるのはお角違いかもしれません。
でも、その切り捨てられた人たちの家族はさぞ悔しかっただろうなと思います。
しかも、1か月ももたないかもしれないと言っておきながら
1か月も置いてくれないのかと思うと、悲しくてなりません。
母が脳梗塞になった時も、某首相が制定した法律のおかげで、病院は診療報酬等の関係で、症状が重かろうが軽かろうが関係なく3カ月以内に退院させ、リハビリ病棟に転院させなければならないという流れだということを知りました。
そうして、希望のリハビリ病棟に空きがなければ、リハビリ難民になってしまうのです。
今回の場合、もはや病院から見放され、治療もできない患者はガン難民と呼ばれますが、さらに病棟難民にもなってしまいそうです。
とはいえ、今日はいきなり母が看護師さんから聞かされただけで
また医師に都合を聞いて話を聞かなければなりませんが。
はたして近くに転院先があるのかも心配ですが
何より、裏で治療は何もできないという医師に
「お願いします」と言う父を思うと・・・
それなのに、病院を出ろだなんて
それこそショックで命を縮めないか、そちらのほうが気がかりです。
そんなわけで、今や看護師さんの
スマイルや優しい声かけも
超ウソくさいものに思えて仕方がありません。
(まあ、仕事だし、本音と建前があるのはわかりますけど)
父がおざなりにされないかとも思ってしまいます。
本当に、母から看護師さんから何か言われたと聞いた時は
これ以上、なんの悪いことがあるのかと思いました。
そして実際、
これ以上病院からダメージを受けるとは思いませんでした。
以前、TVでも見ましたが、介護が必要な患者がいて
今の病院でみてほしい家族と、施設に出したい病院側の仲裁に
専属のケースワーカーさんが入って話しあい、
結局その人はお金の関係もあり、県外の施設に移ることになったそうです。
その時ケースワーカーさんは「時には追い出し屋と呼ばれることもあります」と言ってました。
そういうケースが、うちにも来たんだなあ・・・
ホントに他人事じゃないですよ、皆さん(苦笑)
そういえば、雑誌で「死ぬなら癌で死ぬのが1番いいですよ。最後まで意識がありますし、準備できますからね」なんて言ってた大学の医師がいましたが、その医師は自分が病院をたらい回しにされることなんて思ってもいないんでしょうね。
意識があるからこそ、辛いことだってあります。
病院帰りの車の中でも、客観的にみても「私、かなりダメージ受けてるよね」とか思ってました。
とまあ、体調のイライラもあって、カッとしちゃダメ~!と自分に言い聞かせ、ヒーリングしなきゃ、とか思ってましたが、お風呂に入ってちょっと落ち着きました。ふう・・・
あ~あ、近くにケアの充実した病院があったらなあ・・・
(まあ、あっても満室だろうけど)
まだ、県内でもそんなにないんだよな~(たった3つ)
医師から言われたところも遠いんだもん
2012/06/26 (Tue)
5月14日
今日もなんとか過ごせました。
ありがたい、ありがたい。
でも、父の調子が昨日からいまいちで
(いきなり見舞客がたくさん来て疲れたのかも)
父を思うとちょっと心が痛いことがあったので
書くのも億劫でしたが、まあ、なんとか。
ヒーリングのおかげか、それほど涙が出なくなりました。
しかし、一方体調不良でイライラ感があるので
またサプリを飲んで、セルフヒーリングをしようと思います。
余談ですけど
私が手を当てていると、結構父が寝てしまうから
その間にこっそり帰ることがある。ということを姉に話したら
「あんたはそれができるでええわな」とか言うんですよ。
じゃあ、姉さんもレイキを習えばいいんじゃないかと思うんですが
その気はないんですよね。
今日もなんとか過ごせました。
ありがたい、ありがたい。
でも、父の調子が昨日からいまいちで
(いきなり見舞客がたくさん来て疲れたのかも)
父を思うとちょっと心が痛いことがあったので
書くのも億劫でしたが、まあ、なんとか。
ヒーリングのおかげか、それほど涙が出なくなりました。
しかし、一方体調不良でイライラ感があるので
またサプリを飲んで、セルフヒーリングをしようと思います。
余談ですけど
私が手を当てていると、結構父が寝てしまうから
その間にこっそり帰ることがある。ということを姉に話したら
「あんたはそれができるでええわな」とか言うんですよ。
じゃあ、姉さんもレイキを習えばいいんじゃないかと思うんですが
その気はないんですよね。

父
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